2012年度日本ドイツ学会奨励賞 村上宏昭 氏『世代の歴史社会学』

2012年度日本ドイツ学会奨励賞

受賞作

2012年度日本ドイツ学会奨励賞は、学会奨励賞選考委員会による慎重な選考を経て、村上宏昭 氏(筑波大学人文社会系 助教)『世代の歴史社会学―近代ドイツの教養・福祉・戦争』(昭和堂)に決定されました。2013年6月22日、お茶の水女子大学において開催された日本ドイツ学会大会での授賞式において奨励賞選考委員会の村上公子委員長から選考経過と受賞理由の発表があり、日本ドイツ学会姫岡とし子理事長から村上氏に賞状と副賞が授与されました。

選考理由

本年度の日本ドイツ学会奨励賞の受賞作品は、村上宏昭著『世代の歴史社会学―近代ドイツの教養・福祉・戦争』2012年昭和堂刊に決定いたしました。

著者の村上宏昭さんは、1977年生まれ、関西大学大学院文学研究科史学専攻を修了して博士号を取得、日本学術振興会特別研究員を経て、現在は、助教として、筑波大学人文社会系に奉職しておられます。

日本ドイツ学会奨励賞審査委員会における、審査の経過を簡単にご説明いたします。2012年に出版された書籍のうち、奨励賞の審査対象とすべき作品の推薦を学会員の皆様にお願いしましたが、その結果、締め切りまでに4作品が推薦されました。

奨励賞審査委員全員が全4作品を読んだ上、それぞれを10点満点で評価し、コメントを付けたものを、事務局が集計いたしました。この集計を踏まえ、2013年5月5日、審査委員会を開催し、慎重、そしてかなり時間をかけた議論の結果、村上宏昭さんの作品に奨励賞を差し上げることが決まりました。

議論に時間がかかったのは、次点となった作品も非常に優れた論考で、そちらの作品をより強く推す審査員も、一人ならずあったからです。しかし、最終的には、学際性を重んずるドイツ学会の奨励賞として、よりふさわしい作品である、という点が重視され、村上宏昭さんの作品が選ばれました。

ここで簡単に、受賞作『世代の歴史社会学 – 近代ドイツの教養・福祉・戦争』の内容をご紹介いたします。題名にあるとおり、この著作の主題は世代論です。ご存じのとおり、ドイツでは、近代から現代にかけて、青年神話、青年主義など、様々な世代論が登場しました。本書は、これらの世代論を「ライフステージ」と「コーホート」を鍵概念として、また教養理念や優生学、社会国家などの問題と結びつけて整理・分析したものである、とまとめることができるでしょう。著者自身は、序章で、「本書の課題は…『社会的事実』としての世代形象についてささやかな歴史的考察を行うこと…もっといえば…アイデンティティとしての世代意識にしろ、あるいは研究上の分析ツールとしての世代概念にしろ、世代をめぐる考え方が20世紀に入って大きな変化を経験したという仮定のもと、その検証を行うことが本書の目的」であると述べています。

奨励賞審査委員からは、この「世代」を歴史研究における重要な分析概念として正面から取り上げ、これまでの世代理論を整理し、世代概念が根底的転換に至った背景を科学史的に考察し、更に20世紀の世代概念成立の過程を論述するという、本書の壮大な試みと、その学問的到達度が高く評価されました。

ただ、意図の壮大さゆえか、理論構成が必ずしも平明とは言えない、あるいは、「世代」概念を歴史研究においてどのように使用すべきかについて、著者自身判断に揺れがあるのではないか、とか、また著者が本書の「中心課題」としている世代概念イメージの「ライフステージ」から「コーホート」への転換の軌跡を再構成する、という意図が成就されているようには思えない、という批判的なコメントもあったことを付け加えておきます。

ともあれ、日本ドイツ学会奨励賞審査委員会としては、村上宏昭さんに、奨励賞受賞のお祝いを申し上げるとともに、今後とも精力的に研究を進められ、何よりも、ドイツ史、あるいは歴史学という枠を越えた、領域横断的なお仕事を発表し続けて下さいますよう、お祈り申し上げます。

村上宏昭 氏の受賞あいさつ

筑波大学の村上宏昭と申します。このたびは、栄誉ある日本ドイツ学会奨励賞をいただくことになり、望外の喜びに存じます。まずは、この場を借りて拙著を推薦していただいた方、ならびにこれまでの研究生活でお世話になった関係者の方々に深く御礼申し上げます。

さて、拙著の中心的なテーマはタイトルにもございますように「世代」です。ご存じのとおり、この世代というテーマはつい数年前まで日本社会でも一世を風靡した観がありました。今はその熱も少し冷めているようですが、この本の基となった論文を執筆していた時期は、ちょうど「ロストジェネレーション」という非常にありがたくない名前を付けられた年齢集団(コーホート)が、新自由主義批判の渦巻く中で脚光を浴びていました。そのせいか、当時は猫も杓子も世代論という、悪く言えば「ウケ狙い」、良く言っても「一面的」と言わざるをえないような議論がいたるところで噴出し、その反動で世代という切り口そのものに対する懐疑のまなざし、世代論の持つ胡散臭さが、これまでにないほど意識された時期でもあったと思います。

私の短い研究生活から実感として感じるのは、こうした社会的な流行なり風潮なりは、学術研究にとってきわめて両義的なものであるということです。つまり、一方では自分が従事する研究テーマに関して、言葉や理屈をいちいち並べ立てなくても直にその意義を理解してもらえるというメリットはあります。しかし他方では、自分自身もそうした安直な理解に囚われてしまい、距離を置いた冷静な分析がしばしば困難になるというデメリットもあります。いうまでもなく、後者は学問的な考察を進めるにあたってほとんど致命的とも言えるデメリットであり、流行が過ぎ去るとともにその寿命も尽きてしまう、息の短い泡沫研究しかできなくなる恐れが多分にあります。

振り返ってみれば、私自身もしばらくこうした陥穽に陥っていたことは否めませんし、それだけに世代論の持つ学問的意義に対して懐疑的な声が上がるたびに、ある種のもどかしさを感じていたことも事実です。ただ急いで言い添えておけば、そのような懐疑や批判があったからこそ、私もまた徐々にではあれ世代論を相対化して考えるようになり、そうした懐疑の念を起こさせる歴史的理由、つまり「なぜ世代はこれほどまでに胡散臭い概念になったのか」という、新たな問題意識へと導かれていったと言えます。その意味で、拙著がこの学会奨励賞に値する意義を持つとすれば、それはまさしく私の視点を流行の渦中から引き離してくれた真摯な批判や懐疑の声、それに数々のお叱りの言葉に負っています。それゆえ本日の栄誉は私個人の力量というより、私の周囲の方々によるお力添えの賜物であると認識しております。

本日はどうもありがとうございました。