2005年度日本ドイツ学会奨励賞 藤原辰史 氏『ナチス・ドイツの有機農業』

2005年度日本ドイツ学会奨励賞

受賞作

2005年度日本ドイツ学会奨励賞は、学会奨励賞選考委員会による慎重な選考を経て、藤原辰史 氏(京都大学人文科学研究所助手)『ナチス・ドイツの有機農業』 (柏書房)に決定されました。2006年6月10日、京都・立命館大学において開催された日本ドイツ学会大会での授賞式において奨励賞選考委員会の木村靖二委員長から選考経過と受賞理由の発表があり、日本ドイツ学会広渡清吾理事長から藤原辰史氏に賞状と副賞が授与されました。授賞式では、藤原氏から受賞にあたっての挨拶がのべられ、受賞した作品のモチーフが披露されるなど、意義深いスピーチでした。

選考理由

藤原辰史氏の研究テーマは、ナチズムと自然保護、エコロジーとの密接な関係がもつ意味を、有機農業、とりわけ「バイオ・ダイナミック農法」の展開とナチスの農業観との融合を事例として分析することで、解明しようとするものである。

有機農業は近代以前の農業に復帰することを求めるのではなく、化学肥料の大量投入を基本とする近代農業とそこに見られる人間中心主義からの脱却を掲げて、新しい農業のあり方を模索する運動であることを明らかにした上で、それがナチスの考える「生物圏平等主義」(「民族共同体」内での命あるものの平等)と共鳴する側面をもつことを指摘する。

ドイツにおける一次史料の調査に立って、日本でもよく知られているシュタイナーの思想的系譜に連なる「バイオ・ダイナミック農法」の動向、ダレやヒムラーなど有力なナチ指導者のこの農法への共感、戦後もダレがこの農法の普及に努めていた事実など、興味深い事実が掘り起こされ、同時に日本での同時代の有機農業との関連も視野に収められていて、環境科学専攻者ならではの専門的知見が十分に活かされた力作となっている。

著書の表題はかなり限定的な、特殊なテーマを予想させるが、人間を自然のなかに埋め戻す、人間と動物とを平等視するというナチズムの「生物圏平等主義」は、また人間を動物のように殺すことにも通底するという指摘など、ナチズム理解に刺激的な新しい視点を与えるばかりか、近代とその批判の問題性を鋭く穿ち、またエコロジー運動や緑の党などの検討にも示唆を与える広がりを内包している点が、特に高く評価された。

一部には史料分析への疑義や論理の飛躍などが見られるが、今後の研究の進展が期待できるという判断でも委員会は一致し、氏の業績を学会奨励賞に相応しいものとして推薦することに決定した。

藤原辰史 氏の受賞あいさつ

藤原でございます。京都大学の人文科学研究所に勤めております。このたびは、日本ドイツ学会奨励賞をいただきまして、しかも今回が第一回ということで、大変光栄に存じます。日本ドイツ学会の選考委員の先生方にこの場をかりて心より御礼申し上げます。

さて、10分ほどスピーチせよ、というお達しですので、『ナチス・ドイツの有機農業』で読者に伝えたかったメッセージを簡単に述べることで、受賞のあいさつにかえさせていただくことをおゆるしください。

メッセージの第一は、有機農業の再検討です。有機農業と申しますと、スーパーでみかける「省農薬レタス」や「無農薬トマト」というラベルのイメージが先行しがちですが、歴史をさかのぼってみますと──その欠かすことのできない例がシュタイナーのバイオ・ダイナミック農法なのですが──意外なことに、人間と自然の関係を改変することで、人間の生き方や、社会や文化のあり方そのものまで変革していくようなスケールの大きい運動であったことがわかります。それは、いまからみましてもとても魅力的なものでありまして、肥料をどのように作るのか、という技術的な問題から、自然のなかで人間はどう位置づけられるのか、そもそも人間とは何かというような哲学的問題までを包摂するものです。こうした魅力を、つまりいまだ解決されざる領域をナチス・ドイツが絡めとってしまったがゆえに、ナチズムをいまなお研究すべき理由があると私は確信しております。

第二に、ナチズムは日本の問題でもある、ということです。たとえば、戦後日本における有機農業運動のきっかけをつくった書、ロデイル『黄金の土』(=邦訳『有機農業』)には、元ナチ党員であり、農場主でもあったヘルマン・ラウシュニングの農芸化学批判が引用されています。もちろん、当時の日本人は、これをナチスの文脈でとらえなかったわけですけれども、ナチスを支持する農業従事者の不満と日本の有機農業家たちの不満が、土壌や自然の問題において通底していることをこの事実が伝えていると思います。

これまで、拙著は、『週刊プレイボーイ』や『週刊文春』での紹介、有機農業家のウェッブサイト、エコロジストの書評などなど、いわゆるアカデミックな領域の外でもさまざまに取り上げられ、さまざまなお叱りや批判を頂戴して参りました。日本ドイツ学会はまさにアカデミックの本流であり、これまでの傾向からして、正直大変驚いております。研究者にとって褒められることほど不幸なことはない、という私が尊敬する先生の言葉が正しいとすれば、いま私は不幸のどん底です。これ以上どん底に陥らない唯一の方法は、拙著が、これを機にさらに多くの方々の厳しい目にさらされることであります。私は心からそう願っております。

本日は、貴重なお時間を表彰式とスピーチに割いていただき、誠に有難うございました。