2013年度日本ドイツ学会奨励賞 青木聡子 氏『ドイツにおける原子力施設反対運動の展開』
2013年度日本ドイツ学会奨励賞 福岡万里子 氏『プロイセン東アジア遠征と幕末外交』

2013年度日本ドイツ学会奨励賞

受賞作

2013年度日本ドイツ学会奨励賞は、学会奨励賞選考委員会による慎重な選考を経て、青木聡子氏(名古屋大学環境学研究科 准教授)の『ドイツにおける原子力施設反対運動の展開』(ミネルヴァ書房)、福岡万里子氏(国立歴史民俗博物館 准教授)の『プロイセン東アジア遠征と幕末外交』(東京大学出版会)の二点に決定されました。2014年6月7日、武蔵大学において開催された日本ドイツ学会大会での授賞式において奨励賞選考委員会の村上公子委員長から選考経過と受賞理由の発表があり、日本ドイツ学会姫岡とし子理事長から青木氏と福岡氏に賞状と副賞が授与されました。

選考理由

2013年度日本ドイツ学会奨励賞は青木聡子そうこさんの『ドイツにおける原子力施設反対運動の展開』ならびに福岡万里子さんの『プロイセン東アジア遠征と幕末外交』の二作品に差し上げることとなりました。奨励賞審査委員を代表して、お二人の受賞者および受賞作をご紹介申し上げると同時に、審査の経過を簡単にご報告いたします。

青木聡子さんは1978年生まれ、筑波大学第一学群社会学類をご卒業の後、東北大学大学院文学研究科博士後期課程を修了、学位を得て、現在は名古屋大学大学院環境学研究科に准教授としてお勤めでいらっしゃいます。日本ドイツ学会の学会員でもあり、学会のシンポジウムなどにご登場いただいてもおりますので、お顔馴染みの方もおいでかと存じます。また、福岡万里子さんは1979年生まれ、東京大学教養学部超域文化学科卒業の後、同大学院総合文化研究科で修士並びに博士課程を修了し、学位を得られました。日本学術振興会特別研究員PDとして東京大学資料編纂所で御研鑽の後、本年4月、国立歴史民俗博物館に准教授として御着任なさいました。

お二人の受賞作のご紹介は後ほど行うとして、先に、今年度の審査経過をご報告申し上げます。例年通り、2013年中に出版された書物のうち、学会奨励賞にふさわしいと思われる候補作を推薦してくださるよう、学会員の方々にお願いし、その結果、四作品が審査対象とすべき候補作となりました。審査委員はこの四作品全てを読み、それぞれについて10点満点で採点し、コメントを添えて提出いたしました。最終的な審査委員会は5月5日、早稲田大学で行いましたが、その際、提出された点数ならびにコメント全てを奨励賞事務局の西山暁義さんが集計した資料が用意され、審査はその資料に基づいて、当日出席可能であった審査員によって行われました。

四作品のうち二つは、それぞれ理由は異なりますが、今年度の受賞作とするにはふさわしくないということで、出席委員の合意が得られました。残ったのが、青木さんと福岡さんの作品でした。この段階で、委員の間の議論は、両者同時受賞にすべきか否かという点に集約されたと言ってよいと思います。できることならば、二作品の同時受賞は避けたいところだったのですが、しかし、両者は平均得点も同一で、最高点をつけた委員の数も同じという、ドイツで言う”patt”な状況になっており、局面を大きく動かすような議論も出ませんでした。出席委員間でかなり慎重に話し合いを重ねたのですが、結局、この二作品のうち、どちらを選んだとしても、もう一方を選ばなかったことを後悔することになるだろうという懸念を捨てることができなかったのです。

当日出席していた審査委員の見解として、①青木さんと福岡さんの作品は、全く分野が異なる。②いずれの作品も、各々のあり方で、学際性、学術性、そして社会へのコミットメントを重視するドイツ学会の奨励賞受賞にふさわしい特質を示している。ことから、両作品の同時受賞を容認すべきである、という結論を出し、当日欠席であった委員の了承をまって、それを最終結果といたしました。

ここで、ごく簡単に、二つの作品をご紹介いたします。どちらも、題名がほぼそのまま内容を示していると言ってよいのですが、青木さんの『ドイツにおける原子力施設反対運動の展開 - 環境指向型社会へのイニシアティヴ』は、ドイツの反原発(だけではないので、青木さんは原子力施設と言っていらっしゃるわけですが)運動の発生から現在までを、フィールドでの具体的かつミクロな調査と、環境社会学のマクロな学問的枠組みを用いた分析の双方を駆使して、バランスよく論述した作品です。審査委員からは、この作品の持つメッセージ性に心を揺さぶられた、という感想と、そこに懸念を持つという声の双方が聞かれたことを申し添えます。

福岡さんの『プロイセン東アジア遠征と幕末外交』は、オイレンブルク使節団という名で呼ばれることも多い「『プロイセン東アジア遠征Preußische Expedition nach Ostasien』の派遣をめぐる国際的背景と日本=プロイセン修好通商条約の成立過程を、幕末…の日本を取り巻き、また舞台とした外交史・国際関係史の文脈の中に位置づけつつ、詳細に明らかにする…」作品です。確かに、この著書の内容はそれ以下でも以上でもないのですが、その「詳細」緻密さの極みと言うべき実証研究の厚みと、複数の言語による資料を丁寧に読み込むことで、固定化された歴史記述を説得的に脱構築する解釈の大胆さには圧倒されます。とまあ、「世界史的アプローチの顕現」に興奮する審査委員と、学際性の点で懸念があるとする審査委員双方の声が、この作品についても聞かれました。

日本ドイツ学会奨励賞審査委員会としては、お二人が日本ドイツ学会という、このような学会からの賞を受けられたことを新たな契機として、それぞれのご研究を深めるだけでなく、広げていらっしゃることを心からお祈りいたします。

青木聡子 氏の受賞あいさつ

名古屋大学の青木聡子と申します。このたび日本ドイツ学会奨励賞をいただくこととなり、大変光栄に思っております。この場を借りまして、拙著を推薦して下さいました方、学生時代の指導教員の先生方や調査先で出会った方々をはじめとしてこれまでの研究生活でお世話になってきたすべての方々に深く御礼申し上げます。

個人的な話で恐縮ですが、私は宮城県の出身です。そして小学校低学年のときにチェルノブイリ原発事故が起き、子ども心に原発を怖いと思いました。それと同時に、自分の住んでいる県にも女川原発という原発があることを知り、とても不安になったことを今でも覚えています。なぜ原発なんて危険なものを使っているのか、しかもよりによってなぜそれが自分の地元にあるのか。なぜ大人たちは原発を止めてくれないのか。振り返ってみれば、この当時の子どもながらの不安や不満が現在の研究の出発点になっているように思います。

東日本大震災の際には、女川原発はなんとか事故をまぬがれました。しかし、同じ東北の地、福島県で福島第一原発が大事故を起こしました。結果的にそれがドイツを脱原発へと向かわせる決定打になったことは、私にとって大変皮肉な事態で、本当に無念でなりません。

その意味で、2011年のドイツのエネルギー転換は私にとってみれば大変不本意と言わざるを得ないわけですが、とかく2011年のみが強調されることも私にとって大変違和感のあることです。2011年がドイツのエネルギー政策の重大な転換点であったことは間違いありませんが、福島第一原発事故がこれほどまで迅速かつ決定的にドイツの脱原発へと直結した背景には、40年以上にわたって着々と敷き置かれてきた、脱原発に向かうレールの存在を指摘できます。ドイツの脱原発は「2011年」がすべてではない、福島第一原発事故が「引き金」になったことは確かだが、それは遅かれ早かれ何らかのかたちでもたらされ得た「引き金」であった、というのが私のスタンスであり、拙著では脱原発に至るレールがいかにして敷き置かれてきたのかを明らかにしようとしています。

その際に、原子力施設に抗う人々にとりわけ焦点を当てたのは、子どもの頃の感情と関連付ければ、「原発を阻止してくれる大人たち」に魅力を感じたからかもしれません。人々は何を思ってどのように運動に身を投じ、彼/彼女らのその身を投じるという行為はどのようなかたちで報われるのだろうか。これが私の一貫した問題関心で、拙著はこの問題関心にできるかぎり応えようとしたものです。そのすべてに応えられたわけではありませんが、私なりに人々の闘いっぷりや抗いっぷりを描き切ることはできたと思っています。そしてそこから明らかになったのは、運動を目的達成のための手段としてとらえるのではなく、運動それ自体を目的とするような運動観の存在であり、極端な言い換えをすれば、たとえ原子力施設を阻止できなくともそれに抗ったという事実が残るということ、それを意識しながら運動に身を投じる人々の姿でした。こうした人々の抗いの積み重ねが、結果として2000年の脱原発合意へと結実し、最終的には2011年のエネルギー転換へとつながったわけですが、「運動と政策転換のあいだ」を十分に描き切ったとはいえず、私の研究課題として残っております。加えて、脱原発後のドイツ社会、とりわけ原発立地地域に生きる人々が、自らが直面することとなった困難な状況と向き合いそれを克服していくプロセスを見届け検証するという新たな課題も浮上してきました。今後はこれらの課題に取り組みながら研究を進め、そこから得られたものを日本社会に還元できればと思っています。

本日はありがとうございました。

福岡万里子 氏の受賞あいさつ

このたびは、栄誉ある賞を賜りまして、誠にありがとうございます。

拙著は、1860年に来日したプロイセン東アジア遠征という素材を通して、幕末の動乱・変革期の日本が置かれた外交史的状況、東アジア国際関係史の中で置かれた立ち位置について、考察を試みたものです。遠征の結果結ばれた1861年の日本プロイセン修好通商条約は、当時の日本の入り組んだ不安定な内政外交状況の中でなぜ締結され得たのか。と同時に本来は条約に参加するはずだったプロイセン以外の一連のドイツ諸国が条約から外されたことは、同時代の東アジアの中ではどのような意味を持ったのか、またそれは、当時の日本外交の性質についてどのようなインプリケーションを持つのか。遠征に関わる史料の中に見出される極めて多様な情報やアクターたち、それはプロイセンや日本のみならず、オランダやハンザ諸都市、シャムや中国、アメリカやイギリスその他、背景や出自は多岐にわたるのですが、それら/彼らは、どのような国際的なコンテクストの中で、ひしめき躍動していたのか。拙著は、このような問題を、諸々の史料や文献と格闘しながら考え、読み解こうとしたものです。

ドイツ語を使い、日本史を学問的フィールドとして研究成果を発表しようとする私のアプローチは、始めた当初は類似の例があまりなく、いささか心細い思いでした。そうした中で、プロイセン東アジア遠征という魅力ある素材の存在を教えて下さったドイツ研究分野の指導教官・臼井隆一郎先生、この素材を幕末外交史研究で生かしていく道筋を照らして下さった日本史分野の指導教官・三谷博先生をはじめ、様々な指導者の方々のお力添えを頂きつつ、最初の成果をまとめることができました。今回、日本のドイツ研究を牽引する日本ドイツ学会から奨励賞を給わる栄誉に恵まれ、大変有り難く思いますと同時に、勇気づけられております。本賞は「ドイツ語圏に関する将来性に富む優れた研究業績を顕彰し、ドイツ語圏に関する学際的学術研究の発展に資することを目的」として設けられた賞と伺いました。ドイツ語圏に関わる研究のひとつの可能性あるあり方として、このようなアプローチを認めていただけたことと思い、今後の研究の励みとしていく所存です。現在、ドイツ語、ないしその他の西洋言語を使った日本、東アジアに関する研究は、携わる人がまだかなり少ない状況です。しかしそれだけに、開拓されていない未知の可能性が豊富に詰まっている領域であると言えます。今後、私の試みがひとつのささやかな先例となり、同様のアプローチをとってこの分野の探検に乗り出そうとする方が少しでも増えれば、大変嬉しいことと思っております。

最後に改めまして、今回賜りましたご評価とご激励に、心からの御礼を申し上げまして、結びとさせていただきます。