2021年度日本ドイツ学会奨励賞 坂井晃介 氏『福祉国家の歴史社会学』

2021年度日本ドイツ学会奨励賞

受賞作

2021年度日本ドイツ学会奨励賞は、学会奨励賞選考委員会による慎重な選考を経て、坂井 晃介 氏(東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻 助教)福祉国家の歴史社会学: 19世紀ドイツにおける社会・連帯・補完性 (勁草書房)に決定されました。2022年6月25日、オンラインで開催された日本ドイツ学会大会での授賞式において奨励賞選考委員会の西山暁義委員長から選考経過と受賞理由の発表があり、坂井氏に賞状と副賞が授与されました。

選考理由

学会奨励賞選考委員会の西山です。本年度の選考委員会は昨年度同様、石田圭子幹事、板橋拓己理事、坂野慎二幹事、渋谷哲也幹事、三成美保幹事、弓削尚子理事、事務局を務める村上宏昭幹事と私西山の8名によって構成されており、不肖私が委員長を務めさせていただいております。

さて、今回、2021年度の日本ドイツ学会奨励賞は、坂井晃介さんの『福祉国家の歴史社会学~19世紀ドイツにおける社会・連帯・補完性』勁草書房に授与されることとなりました。

以下、審査の経緯について、簡単にご報告申し上げます。

今回の学会奨励賞は、昨年度総会においてご報告いたしました通り、掲示の不備のため、2021年のみならず、20年も含めた2年間に刊行された作品を対象とすることになりました。今回は当初5作品が推薦され、二段階の審査を行いました。第一段階として、各作品を分野の近い委員2名が査読する予備選考を行い、そのなかで2作品が本選考に残りました。それをふまえ、第二段階として、選考委員全員が2作品を査読し、従来と同様、それぞれの作品に所見とともに10点満点で評点を付け、事務局の村上さんの方でそれを集計し、平均点を算出していただきました。それをもとに5月13日、オンラインによる選考会議を実施し、5名の委員の参加のもと、坂井さんの作品を奨励賞作品として暫定的に選出し、欠席の委員への周知と再考期間を設けたのち、異議はなかったため確定とし、事務局の村上さんより坂井さんに受賞の連絡をいたしました。以上の経緯は、6月19日の理事幹事会においても、村上さんから説明が行われ、承認を得ております。

次に授賞理由についてご報告いたします。

坂井さんの作品は、ルーマンの機能分化論や自己言及システム論を批判的に援用しつつ、19世紀ドイツの政治や学術、労働運動や宗教における議論の中で、福祉国家における「社会的なるもの」の理念がいかに形成されたのかを、社会保険制度に焦点を当て、歴史社会学的に明らかにしようとするものです。 選考会議においては、研究史の記述が充実しており、研究動向をオリジナルな図にまとめて自身の研究視角を明確にしている点や、汗牛充棟の研究分野であるテーマでありつつも、個別要素に特化する、いわば「タコつぼ化」の動向に対し、理論と史料分析の両面から統合的な把握を試みている点が高く評価されました。その際、「補完性」や「連帯」といった、今日の福祉国家の問題を理解するうえで重要な概念を軸に議論している点も、射程の広がりを感じさせるものとみなされました。

他方、総じて言説分析が中心となっているなかで、高度に抽象的な議論が展開される部分が難解であるという声も聞かれました。また研究史のなかで一部見落としがあるのではないかとの指摘、さらに19世紀ドイツがもっぱらプロイセンを中心に議論されるなか、連邦制や都市自治など、ドイツ特有の政治の多層性の位置づけについての疑問、福祉国家におけるジェンダー的側面の欠落についての批判的な所見もありました。

しかし、学会奨励賞の意義に照らしてみれば、ここに示された福祉国家の歴史の立体的な見取り図は、著者坂井さん自身が展望するように、20世紀以降の展開や、今回のドイツの事例を出発点とした比較福祉国家論への貢献も期待させる内容であります。それは、付言すれば、私たちが現在経験しているコロナ禍をめぐる政治、学術などの多様なアクターの関係と、そこにおける「社会的なもの」の認識にもつながっているようにも思われます。

以上のことから、選考委員会は2021年度ドイツ学会奨励賞として、坂井さんの作品を選出いたしました。

最後に、受賞された坂井さんに心からのお祝いと今後のご研究の益々の発展をお祈り申し上げ、報告を終えたいと思います。坂井さん、まことにおめでとうございます。 

坂井晃介 氏の受賞あいさつ

この度は拙著『福祉国家の歴史社会学』を2021年度日本ドイツ学会奨励賞という栄誉ある賞に選出していただき、誠に感謝申し上げます。奨励賞にご推薦くださった方や選考委員の先生方に、深くお礼申し上げます。僭越ながら、本書の初発の関心などについて少しお話しし、受賞あいさつとさせていただきます。

本書は、「社会的なもの」(das Soziale)と呼ばれる、近代社会における人びとの協働にかかわる規範的理念についての歴史社会学的研究です。

日本でも特に2000年代に入ってから、人びとの紐帯が希薄化し福祉や共助の仕組みへの限界や疑義が生じてきているという現状認識のもとで、主に思想的な視座から「社会的なもの」の理念が再注目されてきました。私は大学入学以後、こうした現代的な問題と理念の重要性に深く共感しつつ、「連帯」や「公正」といった「社会的なもの」の理念が学術的・哲学的には擁護・正当化されていく一方で、実際の社会生活の中ではむしろ煙たがれたり、政治過程ではほとんど無視されているような状況に疑問を感じておりました。

本書の基となった博士論文は、学部時代のこうしたやや素朴な問題意識が出発点となっています。そこからまず、ある規範的理念が社会に流通するようになるプロセスを考えるために、社会学、とりわけドイツの社会学者であるニクラス・ルーマンの社会学理論の研究を行ってきました。そこで得られた洞察は、特定の理念や考え方は制度のありようと無関係ではなく、境界を有した制度が複数作られることで、理念は制度間で異なる形で使われたり、部分的にのみ関連づけられたりされうるということでした。これは、西欧近代社会の成り立ちの一側面であるともいえるのではないかと思います。

そうした理論的関心のもとでのケーススタディとして、本書では1880年代におけるドイツ労働者保険の形成過程における理念の歴史的な分析を行いました。中でも、「社会」(Gesellschaft)、「連帯」(Solidarität)、「補完性」(Subsidiarität)という三つの語彙に着目しました。これまでの研究では、こうした理念は学術や労働運動、カトリシズムの語彙としてみなされ、そうした担い手の属性に注目した重厚な研究が蓄積されてきました。それに対して本書では、あえて同時代の政策過程に着目し、政治家や官僚たちが実際には、こうした語彙を新しく定義し直し、統治実践における「社会的なもの」として労働者保険の正当化に活用していったプロセスを明らかにしました。

本書のタイトルにもなっている「歴史社会学」の課題の一つは、こうした歴史研究を通じて現代的な問題の萌芽や由来を探ることにあります。本書で取り組んだ現代的な問題としては、政治と学術の分離と再関連化があるでしょう。一方で学術的知見は国家にとって一つの参照可能な資源でありつつ、他方で両者は自律的な制度としてみなされることが、いわゆる「価値自由」的な前提となっています。そうした前提が歴史的にどのように作られてきたのかを明らかにすることを通じて、現代のEBPM(evidence based policy making)のような、学知・学識が政治実践に与えるインパクト、あるいは国家による学術への恣意的な介入や活用について、適切な批判や評価が可能になるのではないかと考えています。

このように本書は、19世紀後半のドイツを対象にした歴史的な研究でありつつやや雑多な関心で書かれた領域横断的なものです。そのため社会学理論の系列でも、歴史研究の系列でも、はたまた福祉国家・社会政策の系列でも、うまく位置付けることができない——どの分野の研究者にも理解されづらい——ものになっているのではないかと自己認識しておりました。そんな中でドイツ語圏に関する学際的な学術研究を行うことを目的とされている日本ドイツ学会でこのような賞をいただいたことに驚きつつ、本当に嬉しく思っています。

本書は、選考委員会からの指摘にもあった通り、ドイツ歴史研究としては不十分かつ問題含みな点も多いかと思います。今後はそうした点を重く受け止め、比較に開かれた歴史社会学的研究という射程を維持しつつドイツ研究・歴史研究としてもより質の高い研究を進めていく所存です。どうかご指導ご鞭撻のほど、お願い申し上げます。この度は本当にありがとうございました。