第37回 2021年 Lügenpresse──マスゴミ? 日本とドイツにおけるメディアの位相

第37回 日本ドイツ学会大会

開催概要

  • 開催日:2021年6月19日(土)
  • 開催形式:オンライン開催

フォーラム

フォーラム1 ドイツとオーストリアにおける高大接続改革―アビトゥーアとマトゥーラをめぐる近年の動向 コーディネーター:木戸 裕(元国立国会図書館)
司会:伊藤実歩子(立教大学)

わが国では、今年(2021年)1 月から従来の大学入試センター試験に代わり、大学入学共通テストが開始された。わが国とドイツは、大学入学制度において大きな相違が見られるが、その一方で、すでに両国ともマーチン・トロウのいう高等教育への進学率が「ユニバーサル段階」に到達しているという点では、共通するところも少なくはない。また同じドイツ語圏であるオーストリアにおいては、制度上ドイツと共通する点は数多く見られるが、同時にこの国独自の制度も少なからず導入されている。本報告では、ドイツにおいて進行している高大接続改革の動向を、中等教育から見た改革と高等教育から見た改革の両面から考察するとともに、オーストリアも踏まえて変動する「大学入試」の実態をできる限り幅広い視野のもとで展望したい。     

1)ドイツにおける高等教育の変容と高大接続改革 木戸 裕(元国立国会図書館)

本報告では、まず現在ドイツにおいて進められている高等教育改革の全体像を把握する。その際、インターナショナル、ナショナルの両面からドイツに見られる動向・特徴を展望する。次に、高等教育が大きな変貌を遂げつつあるなかで、それではドイツでは高大接続改革をめぐってどのような議論が交わされているのか、何が論点になっているのか、そのなかで具体的にどのような政策が立案され、実践されているのかを見ていく。その上で、ドイツにおける大学入学制度改革の将来の方向性と今後の課題について探ってみたい。

2)ドイツにおける大学進学機会の変化とアビトゥーア改革 栗原麗羅(東京医療保健大学)

本報告では、ドイツの中等教育から高等教育への接続改革の動向に着目する。具体的には、分岐型学校制度の下で、社会的出自によってギムナジウムや大学への進学率が異なるという教育機会の格差が注目を集めるなかで進められている、問題解決に向けた大学進学への道の多様化といった取り組みを考察する。さらに、アビトゥーア試験を州ごとに実施していることから、試験の内容やレベルの均質性が問題化するところで着手された、教育スタンダードの導入や試験問題の共通化といったアビトゥーア改革について報告を行う。

3)オーストリアのマトゥーラ改革―コンピテンシーと文学― 伊藤実歩子(立教大学)

オーストリアでは、2014年度にマトゥーラ改革が実施された。この改革の主な変更点は次のとおりである。①これまで学校ごとに行われていた試験が、一部主要教科において全国統一化されたこと、②探求型の課題論文が必修化されたこと、③論文、記述、口述試験すべてにおいてコンピテンシーに基づいた試験になったこと。本報告では、これらの変更点の背景に2000年から開始されたPISAの影響を見る。その具体的な事例として、ドイツ語マトゥーラにおける文学作品の取り扱いをめぐる論争を取り上げてみたい。

フォーラム2  ノルトライン=ヴェストファーレン州の水管理組合 司会:寺林暁良(北星学園大学)

ノルトライン=ヴェストファーレン州には、河川の流域ごとに11の水管理組合がある。それらは州法に基づく組織でありながら、自治体や企業が組合員となって費用負担と意思決定を行う共的な水管理主体であり、ドイツ国内においても他州に類をみない。本発表では、これらの代表であるエムシャー川組合(Emschergenossenschaft、1905年設立)とルール川組合(Ruhrverband、1913年設立)を主に取り上げ、これらの水管理組合がどのように成立してきたか、資源やインフラの管理主体としてどのような特徴を有しているかを述べる。   

1)エムシャー川とルール川における水管理組合 西林勝吾(大正大学)・渡辺重夫(ベルリン国際応用科学大学)

ルール地方はかつて世界屈指の工業地帯であった。同時に、重工業化・経済成長・人口増大により甚大な環境破壊を経験した。水汚染に対処すべく、同地方では過去100年以上にわたり水管理組合(Wassergenossenschaft)による水資源管理を進めてきた。本報告では、この独自な取り組みについて紹介する。

2)水資源の共同管理が持つ現代的意義-ノルトライン=ヴェストファーレン州の水管理組合を事例に- 寺林暁良(北星学園大学)

資源やインフラを誰がどのように管理するのが望ましいか、もちろんそれは地域によっても時代によっても異なる。現在、上下水道や送配電網の民営化に対するアンチテーゼとして、「再公営化」が世界的に注目されているが、その第3極となりうるのが共同管理のしくみである。ノルトライン=ヴェストファーレン州の水管理組合を事例として、その現代的な意義や課題について検討する。

フォーラム3 個別研究報告フォーラム 共同報告:司会:小野寺拓也(東京外国語大学)

1)ヒトラーの芸術観を再考する:第三帝国の「美学」とは何か 石田圭子(神戸大学)
コメント:田野大輔(甲南大学)

若い頃芸術家を目指したヒトラーは、第三帝国の独裁者になった後も芸術に多大な関心を注いだ。彼は自身が「退廃的」とみなしたアヴァンギャルド芸術を徹底的に弾圧する一方で、第三帝国独自の芸術を育成しようと試み、それの最大の推進者、パトロンであろうとした。本発表ではヒトラーが1933年から1939年に行った文化・芸術をめぐる演説を参照し、ヒトラーの芸術論/第三帝国の「美学」とは何かということを考察する。

2)俯瞰性と科学的凝視の交錯に見る「日本芸術」言説
―『ブロックハウス事典』第14版第9巻(1894)と第15版第9巻(1931)を比較する―」 馬場浩平(中央大学)
コメント:辻 朋季(明治大学)

本報告では、『ブロックハウス事典』第14版第9巻(1894)と第15版第9巻(1931)の日本項目における「日本芸術」の記事を比較する。二つの記事の比較において注目すべきは二点ある。第一点は、第15版において「彫塑」の記事が加筆されている点である。第二点は、二つの版に共通する、記述対象に限定した俯瞰的な記述方法である。その際、ブロックハウス出版社における第15版編集方針であった「一覧」という概念にも着目し、二つの版の間にあるテキストの変遷過程を考察する。

シンポジウム

Lügenpresse──マスゴミ? 日本とドイツにおけるメディアの位相

  • 開催時刻:13時30分-17時
  • 司会:穐山洋子(同志社大学)・川喜田敦子(東京大学)
  • 東京大学ドイツ・ヨーロッパ研究センター共催

<企画趣旨>
近年のメディアにおいては、「フェイク・ニュース」、「ファクト・チェック」など、報道そのものの信ぴょう性を問うことが日常の光景となっている。かつてはメディアの政治的スタンスの違いやそれによる報道の仕方の違いはあったとしても、報道の内容自体が真実であるか否かがこれほどまでに問われることはなかったのではなかろうか。

「フェイク・ニュース」と聞けば、SNSを駆使したアメリカ合衆国のトランプ政権がすぐに想起されるであろうが、それはアメリカだけの問題ではない。ドイツでも、2014年に「今年の妄語Unwort」に選ばれたのが、「ペギーダ」や「ドイツのための選択肢」といった移民難民問題において政府やリベラルなメディアを攻撃する政治運動、政党が多用した「嘘つきメディアLügenpresse」であった。この言葉は、19世紀に起源をもち、さらに同様のメディアに対する不信感の表現は、さらにさかのぼるメディアの誕生以降その歴史とともにあったが、2014年の「受賞」においては、とくにナチによるメディア攻撃の用語であることが強調された。

そして日本においても、「マスゴミ」がそれに対応する表現としてネット空間においてしばしば使われている。共通しているのは、SNSという誰もが意見を表明しうるオルターナティブなコミュニケーション・ツールの発展のなかで、既存のメディアに対する不信感が高まっているように思われるということである。私たちにとってドイツにかんする情報源として依然として重要な(ただしそれ自体もネットを通して入手するのが一般的となっている)マスメディアの社会的な立場は、いったいどのようなものであろうか。公共放送の性格やクオリティーペーパーの存在など、ドイツならではの主要マスメディアの特徴は、現在どのような問題に直面しているのか。また、それを克服する試みとして何が行われているのであろうか。

今回のシンポジウムでは、学術、ジャーナリズム両面においてこの問題にかかわる専門家の方をパネリストとしてお招きし、日本との比較を念頭に置きつつこの問題を考えていくことにしたい。

西山暁義(共立女子大学)
1.日独メディア社会の課題と展望:デジタル化時代のメディアの信頼調査をもとに 林 香里(東京大学)

今日、デジタル情報化は地球規模で容赦なく進んでいる。その際、これまでの伝統的メディアに対する「信頼」はどのように変化しているのか。また、新たに台頭するネットメディアやSNSは、両国でどのように使われているのか。ドイツの場合、テレビや新聞などの伝統的メディアには、自由を付与されるかわりに社会的責任も負うという考え方が強い(制度的自由)。この発表では、現代のドイツの伝統的メディアの役割、規範、信頼について、日本の状況と比較しつつ考える。

2.言語データが暴くナチ語彙Lügenpresseという神話 高田博行(学習院大学)

PEGIDAが盛んに用いたLügenpresseという語は、2014年の「粗悪語」(Unwort)に選ばれ、それ以降メディアではナチ語彙復活の典型例として扱われている。しかし、実際に1930年頃~1945年に関してナチズムのイデオロギーを吹聴する新聞・雑誌・書籍等におけるこの語の使用状況を調査してみると、ナチ語彙と称するには使用頻度が低すぎることが判明する。では、どのような経緯でどのような動機でこの語はナチ語彙にしたてられたのか。この点について、メディアの共犯性という観点とも関連づけて考察する。

3.ネットワーク執行法でネット上の発言はどう変わったか 〜デジタル時代のメディアとコミュニケーション 穂鷹知美(スイス在住ライター)

ドイツでは2018年から「ソーシャルネットワークにおける法執行を改善するための法律」(略称「ネットワーク執行法」)が、本格的に運用されはじめた。本発表では、この法律の特徴と運用状況を概観し、課題を整理してみたい。デジタル時代のコミュニケーションを対立・分断するのでなく、活性化するために、メディアになにができるのか。世界に共通するこのテーマを議論する材料として、近年のスイスと台湾の動きにも最後に若干触れてみたい。

4.“Lügenpresse” and “Harmful Rumors” Who is Undermining the Credibility of the Media in Germany and Japan? クリストフ・ナイトハルト(ジャーナリスト)

“Lügenpresse” (lying media), this old German term used primarily for the defamation of the liberal press, especially during the Nazi-years, has re-surfaced with the advent of the Internet and a changing environment for the media-companies. As the Fourth Estate in a democracy, informally tasked with controlling politics, the German media claims to observe the highest standards. Yet at times, it has been undermining its own authority. In Japan on the other hand, the mainstream press does little to check the authorities. Still, the Japanese government regularly attacks the media, for example by accusing it of spreading “harmful rumors” – a politer translation of the slander “Lügenpresse”.(この報告は英語で行われました)