第25回 2009年 <格差社会>ドイツ?

第25回 日本ドイツ学会大会

開催概要

  • 開催日:2009年6月20日(土)
  • 会 場:共立女子大学 神田一ツ橋キャンパス本館

フォーラム

1.コーポレート・ガバナンスの日独比較 小山明宏(学習院大学)
コメンテーター:関 孝哉(コーポレート・プラクティス・パートナーズ)
司会:広渡清吾(専修大学)

上場企業が遵守するべきコーポレート・ガバナンスの準拠枠は、ドイツのDeutscher Corporate Governance Kodex (DCGK)が、OECDのコーポレート・ガバナンス原則と共に、国際的なものとして知られている。わが国には、残念ながらそのような規範が存在しない。わが国のコーポレート・ガバナンスには多くの問題点があるが、それらを克服するのにDCGKはどのように貢献しうるのか、考えてみる。     

2.イメージとテクストによる記憶の技法 ― キーファー/ホルン/ゼーバルト コメンテーター:田中 純(東京大学)
司会:香川 檀(武蔵大学)

1980年代から顕著となるナチズム・ホロコーストの記憶にまつわる美術と文学について考える。現代美術家のA. キーファー、R. ホルン、そして写真や図と文章を組み合わせた小説を発表したW. G. ゼーバルトをとりあげ、これら〈戦中生まれ世代〉の作家が歴史を想起する表現の可能性と問題点を、社会的背景や思想潮流を踏まえつつ考察する。
   

〈傷〉としての絵画?― アンゼルム・キーファーとナチスの記憶 石田圭子(東京芸術大学)

画家アンゼルム・キーファーは、ナチスという過去のトラウマ的記憶に、象徴や神話といった要素を混入させてアプローチしている点で特異である。本発表では固有名、イメージ、象徴の関係に着目し、キーファーの想起の方法について論じる。

空間の経験と〈場〉の記憶 ― レベッカ・ホルンの〈独身者の機械〉 香川 檀(武蔵大学)

女性美術家レベッカ・ホルンは、80年代後半からホロコースト等にまつわる場所で、機械仕掛けの空間構成による作品を制作している。反復運動する機械オブジェの意味作用を探るとともに、「場に固有なアート」の社会的機能について論じる。

W. G. ゼーバルトの記憶の技法 鈴木賢子(実践女子大学・非常勤講師)

作家W. G. ゼーバルトは、過去のトラウマとその歴史的消失点であるホロコーストの記憶をテーマとした。その接近の成否は少なからず、写真と物語の組み合わせという危うい関係にかかっている。この危うさに彼が賭けたものは何かを考える。

シンポジウム

<格差社会>ドイツ?

  • 開催時刻:13時45分-17時45分
  • コメンテーター:戸田典子(国会図書館調査局・社会労働調査室)
  • 司会:平島健司(東京大学)・姫岡とし子(東京大学)
1.現代ドイツの社会国家改革とSPDの危機 近藤潤三(愛知教育大学)

格差・貧困の問題は以前から存在している。しかしそれに関心を集まるようになったのは、産業立地ドイツの確保が叫ばれ、失業率が高止まりするようになったコール政権末期のころからである。その背景には、雇用不安が高まり、貧困への転落を懸念する市民が増大したことがある。そうした不安は、生活保障のシステムである社会国家の改革にSPDを主軸とするシュレーダー政権が着手してから一段と強まったが、同時にその改革がSPDを重大な危機に陥れた。この報告では格差・貧困、社会国家改革、SPDの危機の関連に焦点を絞りたい。

2.働き方の変化と社会的格差 田中洋子(筑波大学)

1990年代以降、ドイツ統一、EU拡大、グローバル化の流れの中で、ドイツは新自由主義的「近代化」に自ら適応してきた。アメリカMBA出身の経営者や経営者報酬の急増が新しい話題になり、同時に、パートタイム、期限つき契約労働、派遣労働、ミニ・ジョブ等の非典型雇用が増加し、被雇用者の3分の1を越えるに到っている。市場レベルでの収入格差の増大はいかなる形で進んできたのか、またドイツはこれにどのように対応しようとしているのかを考える。

3.格差・貧困と社会保障改革 布川日佐史(静岡大学)

失業、格差と貧困の拡大のもと、2005年に失業扶助(Arbeitslosenhilfe)を廃止し、社会扶助(Sozialhilfe)から就労可能な要扶助者を切り出し、「求職者基礎保障(Grundsicherung für Arbeitssuchende)」が創設された。現在650万人以上が受給している。これに対し、社会保障制度が中間層の「従前生活保障」から、「貧困との戦い」に転換したとの評価がある。本報告は制度改革の動向とそれをめぐる評価を検討する。

4.<格差>をめぐる政治的争点化の変容:EUの中のドイツ 網谷龍介(明治学院大学)

本報告では、<格差>を社会経済的な資源配分の不平等として捉えた上で、それがドイツ政治において、どのような形で争点化されてきたかの経時的変化を検討する。さらにはヨーロッパ大の政策ディスコースの展開の中にそれを位置づけることを通じて、かつて喧伝されたドイツ・モデルが現在直面する問題の一端を明らかにしたい。