ドイツ学会への招待

「ドイツ研究の新地平を拓く」 日本ドイツ学会への招待

1. 20年間の変化

 日本ドイツ学会は、1985年に第1回の学術総会を学習院大学で開催した。そのときのテーマは、「ドイツ関係学の現状と展望」であった。それから20年、2004年には第20回目の学術総会を迎えた。この間、ドイツも、世界も、そして日本も大きく変化した。決定的な変化は、20世紀の二つの世界大戦をそれぞれ契機にして誕生し、発展した社会主義体制が基本的に解体したことである。ソ連・東欧圏に社会主義国はなくなり、残ったいくつかの社会主義国においても資本主義的市場経済の導入が模索されている。21世紀の世界は、資本主義がグローバル化する時代である。東西ドイツの統一は、この変化の決定的な象徴であった。85年、日本ドイツ学会の創設に参加した人たちのうち何人が、それから5年後にこうした劇的な変化が生じることを予測できただろうか。さらにそれから15年、2004年の5月、EUには、かってのソ連・東欧社会主義圏の8か国が新規に加入した。新EUは、これを含めて25か国、4億5000万人の大欧州圏を形成し、さらに旧ソ連東欧圏諸国の加入を準備している。日本ドイツ学会は、「地域研究という観点からドイツ語圏に関する学際的な学術研究を行うことを目的」(規約第2条)としている。「ドイツ語圏」とは、旧東西ドイツ、つまり現在のドイツ連邦共和国、オーストリア、そしてスイスなどを意味すると思われるが、学会では主としてドイツが対象とされてきたようである。ドイツは、戦後の東西への分裂、ナチスが刻み込んだ歴史的負荷への対応、東西の一体化への模索と統一の実現、ヨーロッパにおける大国としての舵取り、独仏枢軸によるアメリカのユニラテラリズムへの対抗など、その抱える問題と国際的な地位・役割を変化させてきた。ドイツ学会の20年間のテーマの変遷は、そのことをうかがわせている。

2. 学会テーマからみる方法的な意識の変遷

 これまでドイツ学会がどのようなテーマを取り上げてきたかを参照しながら、『ドイツ研究』の方法をめぐる意識のパターンをとりだしてみよう。初期のテーマ設定は、比較的に方法的な狙いがはっきりしている。それは、ドイツという対象に即して、人文社会諸科学の各専門分野から学際的議論を進めること、「人文社会科学的な総合学としての地域研究」が目指されているといってよい。規約第2条に規定された目的は、まさにこのことを表現している。当時の学会シンポジウムの記録をみると、各分野の専門家が、それぞれ自分の立場から共通の論題にアプローチして蘊蓄を傾けるという議論の状況がよくうかがえる。ドイツ統一後は、ドイツの国際的な、またヨーロッパにおける地位と役割、あるいはドイツ的な国家モデルの変容に関心が向けられている。あへて言えば、初期の総合学的なアプローチにおいて、その視線が、たしかに多様ではあるが、どちらかといえば、ドイツの内側に向けられているのに対して、ここでは、ドイツを世界のなかにおいて、外から見るという視線がより前面にでているように思われる。ごく近年のテーマ設定に至るとこの外からの視線は、「外からの」という性格をより明確にして、ドイツを相対的な比較のレベルにおくという視線にシフトしているように見える。ここで突き詰めて考えると、なるほど素材はドイツを中心にとられるけれども、比較の究極的な問題関心は、ドイツという地域それ自体というよりも、そのために比較が行われている問題そのもののあり方、展開をとらえようとするところにある。「生命倫理」のテーマの場合は、その典型例である。

3. ドイツ研究の多元化とその先

 日本ドイツ学会の20年において、以上から見ただけでもドイツ研究のありようは、多元化している。ドイツ学会は、繰り返していえば<ドイツ語圏という地域を人文社会科学を総合してよく知ること>を目的にする。「知ること」それ自体に対して、「何のために」という問いは、学問の立場からすれば付随的であり、本質的ではないとさしあたり言うべきである。ところで、ドイツ研究において、ドイツをたとえば「モデル」として、「比較の重要な素材」として、あるいはまた「世界理解の重要な鍵」として扱おうとすることは、ここでいう「何のために」の問いに応答するものであるように見える。 「何のために」と問うことは、しかし、プラグマチックな非本質的なものにとどまらず、知ることの意味を考えさせ、それを通じて視角や対象の範囲や射程等を変化させ、<よりよく知る>という方向での変化をもたらしうるのではないか。またさらに、「何のために」にという問いは、研究者がドイツをどのような「関連」のなかで知ろうと欲しているのか、という主体の問題に係わっている。このように、多元化をもたらす文脈を探ることは、多元化のその先を考えることにつながる。

日本ドイツ学会元理事長 広渡清吾