第41回 日本ドイツ学会大会
開催概要
- 開催日:2025年6月28日(土) 9:30-16:30
- 会 場:獨協大学創立50周年記念館(西棟)
- 開催形式:対面(シンポジウムのみ会員限定でハイブリッド配信)
- 参加費:一般 1000 円 学生 500 円(事前参加登録は不要です。当日、受付にお越しください)
※日本ドイツ学会会員およびフォーラムから参加の学生は終日無料
フォーラム
9:30-11:30 (フォーラム1・2・3は同時平行で開催されます)
フォーラム1 ドイツの労使関係と政治的変化
趣旨説明:田中洋子(筑波大学)
このフォーラムでは、2010年代半ば以降のドイツ社会において、いかなる形で労使関係上の新しい運動や制度の進展があったかを明らかにするとともに、伸長するAfDの労働・社会政策の分析から、これら10年来の展開が逆転する可能性について考える。
第一報告では、ドイツの伝統的な労使共同決定方式の展開を扱う。経営危機に陥った企業において、現在、共同決定制度がいかなる形で機能しているか、従業員代表委員会がどのような役割を果たしているかを明らかにする。第二報告では、最低賃金の決め方の変化を追う。2015年にドイツで最低賃金制度が制定されて以来、それがいかに伝統的な労使の協約自治の影響を受けながら運営されてきたか、またそれがショルツ政権下でいかに性格を変えてきたかを明らかにする。第三報告では、政治的発言権を増すAfDの労働政策・社会政策を綱領等から分析しつつ、従来のドイツの制度・政策が今後転換する可能性について考える。
1)ドイツ企業の共同決定の進化:「未来協約」を通じた企業組織変革の道 石塚史樹(明治大学)
本報告はドイツ企業の従業員代表員会が共同決定の枠組みを用いてリストラを克服している状況を説明する。この際、一企業の事例研究に基づき議論を展開する。主要な主張は以下のようである。対象企業の従業員代表委員会は結果的に、収益性を改善するための業務プロセス改善案を自ら経営側に提案し納得させ、雇用保証を獲得した。このように、企業リストラの推進に際し共同決定は企業の事業展開にまで関与する可能性を見せ始めている。
2)法定最低賃金をめぐるポリティクス 岩佐卓也(専修大学)
2015年ドイツで初めて法定最低賃金(最賃)が導入された。それは労働協約によって賃金規制が行なわれる伝統的な協約自治からの大きな転換であった。そうした経緯ゆえに最賃の決定方式は協約自治との整合性を強く意識した独特のものとなった。最賃委員会は政府介入を廃除し、改訂額は協約賃金の上昇率に準拠するものとされた。本報告は最賃委員会の動向および2022年の法改正による12ユーロへの最賃改訂について分析を行なう。
3)AfDの労働・社会政策をめぐる議論 田中洋子(筑波大学)
2025年2月の総選挙において、極右政党と呼ばれる「ドイツのための選択肢(AfD)」が得票率20.8%で第2党となり、現与党の社会民主党や緑の党を引き離した。ただしロシアやイーロン・マスクとの関係が取り沙汰される一方で、彼らが掲げる具体的政策は見過ごされがちである。ここでは、基礎控除引上げと手取り増額、市民手当見直し、選択的移民制度などの労働・社会政策をAfDの綱領・党幹部発言から明らかにし、それが持つ意味を考える。
フォーラム2 社会国家の「破断界」――「危機の時代」の労働と家族をめぐるポリティクス――
趣旨説明:辻 英史(法政大学)
本フォーラムは、戦後の東西ドイツにおける社会国家(福祉国家)について、それを構成するさまざまな制度や組織の複雑な絡み合いを分析したうえで、その変容課程を明らかにすることを目的とする。内外からの圧力につねにさらされてきた社会国家は、どのようにたわみながらそうした圧力に抗い、間断なく変化してきたのだろうか。社会国家には、たわんだまま元にもどらない「破断界」は存在するのだろうか。こうした視点から、本フォーラムは1970年代から80年代を社会国家の転換点の一つと捉え、なかでも経済危機下の財政縮減期に社会給付の削減が進行したなかで、もっとも大きく変化した労働と家族の在り方に着目しながら、さまざまな局面で圧力に抗して自己変革を成し遂げてきたドイツ社会国家の姿を、3本の報告から明らかにする。
1)「貧困や「社会的排除」との闘い――「胎児の生命保護のための連邦母子財団」を手がかりとして――」 馬場わかな(慶応義塾大学)
1970年代以降に生じた産業構造の転換や価値観の変容、人口動態の変化は、社会国家が制度的前提としてきた労働や家族のありようを変化させただけでなく、貧困や「社会的排除」など、新たな社会的リスクを顕在化させた。本報告では、妊娠の継続が困難な女性を支援する「胎児の生命保護のための連邦母子財団」を手がかりとして、社会変動に直面して幾度となくたわみながらも、基本的枠組みを維持しつつ社会国家たり続けようとした姿を描き出す。
2)「西ドイツにおける障害者政策の変遷――戦時型社会政策からの脱却――」 北村陽子(東京大学)
西ドイツの障害者支援政策の変遷を追い、障害者を労働力としてみなす価値観の変容に着目する。建国期に整備された当初の政策は、その対象として第二次世界大戦で負傷し障害を負った、成人男性の戦傷者を強く意識したものであったが、1970年代に入ると、障害者全般を社会にどう統合するかが問題となってきた。加えてその際の支援基準が、稼得労働に限定した就労能力の多寡から健康障害の度合いに変化した論理を解明する。
3)「東ドイツにおける日常生活の多様化と住宅問題――1970・80年代のロストックとライプツィヒを例に――」 河合信晴(広島大学)
東ドイツは、西ドイツと比べた場合、「社会国家」が持ちこたえられなくなって「破断」したと見ることができるかもしれない、それを検討するために、1970年代以降を例に、北のロストックと南に位置するライプツィヒという二つの都市の住宅政策を取り上げ、東ドイツ社会国家が国民からの要求や苦情にいかに向き合いつつ、いかに効率的な対策をおこなうことに失敗し、人びとの多様なニーズに応えられなかったのかという問題を扱う。
フォーラム3 個人研究報告フォーラム 司会:小野寺拓也(東京外国語大学)
1)パンデミックに対峙した第一次世界大戦下のドイツ人俘虜――スペイン風邪に見舞われた収容所生活と帰国便―― 本名龍児(海上自衛隊)コメント:今井宏昌(九州大学)
第一次世界大戦下に日本国内に設置されたドイツ人俘虜収容所は、日本とのさまざまな交流、文化、技術の伝承の場として知られる一方、世界的に広がったインフルエンザ・パンデミック(スペイン風邪)によって、多くの犠牲者が生じた。本報告では、現代に残る俘虜の日記や所内新聞に加え、防衛研究所や陸上自衛隊衛生学校が所蔵する史料を基に、俘虜収容所におけるインフルエンザ感染の拡大状況や実施された医療活動を概説する。
2)博物館・ヴァニタス・現代美術――Museum Schnütgenでのアート・インターベンション―― 結城 円(九州大学)コメント:香川 檀(武蔵大学)
本発表では、ドイツにおいて、博物館での「アート・インターベンション(芸術の介入)」という学際的な展示実践がどのように行われているのか考察する。とりわけ、ケルンのMuseum Schnütgenでの常設コレクション展(2024年)を例に、本来、自然史や社会科学・歴史をテーマとする博物館展示のなかに現代アートが介入することで、博物館における知をいかに社会問題と関連付け、知の再編を行っているのか明らかにする。
シンポジウム
戦後80年の軌跡―日本・ドイツ・ロシアの関係史―
13:00-16:30
基調講演 Prof. Dr. Stefan Creuzberger (Universität Rostock)
シュテファン・クロイツベルガー(ロストック大学)
- 通訳:相澤啓一(獨協大学)
- 司会:伊豆田俊輔(獨協大学)、北村陽子(東京大学)
<企画趣旨>
本シンポジウムは、日本・ドイツ・ロシア(旧ソ連)という三国の関係史を通して、1945年の第二次世界大戦終結以降の国際秩序の変容を歴史的視野から考察することを目的とする。日独両国にとってロシアは共通の隣国であり、その関係性は安全保障やエネルギー政策をはじめ、現在も重大な意味をもつ。とりわけ、2022年のウクライナ侵攻を契機に、ドイツの対露政策は国際的関心を集めることとなった。本企画では、喫緊の政策提言からは一歩距離を置き、戦後から現在に至る日・独・露(ソ)関係の歴史的背景に光を当てる。基調講演には、『ドイツ=ロシアの世紀 1900–2022』の著者、シュテファン・クロイツベルガー氏を招き、戦後独露関係の変遷を検討する。加えて、藤澤潤氏は経済の観点から独露と東欧、日本の関係を考察し、河﨑健氏は、外交史の観点から独露・日露・日独関係の過去と現在を論じる。さらに高橋沙奈美氏は、ドイツのロシア正教会を切り口に、ドイツにおけるロシア語話者の宗教文化的多様性を描き出す。
伊豆田俊輔(獨協大学)
1.独露経済関係史と東欧、日本 藤澤 潤(神戸大学)
第二次世界大戦後、独露(ソ)間、日露(ソ)間の経済関係は、互いに共通点を持ちつつも、時代とともに大きく異なる展開を見せた。1970年代以降、西ドイツがソ連、東欧との経済関係を発展させていったのに対して、中ソ対立や米中接近を機にむしろ中国との関係を深めていった日本は、北方領土問題の影響もあり、ドイツのようにロシア(ソ連)に接近することはなかった。本報告では、ドイツ・東欧・日本とロシア(ソ連)との経済関係史について比較しつつ検討してみたい
2.独露・日露・日独関係の過去と現在 河﨑 健(上智大学)
第二次世界大戦の敗戦国となった日独は、戦後の冷戦体制が進む中で西側同盟国との関係緊密化とは別次元でソ連との関係改善を図った。西ドイツでは1955年にソ連との国交が回復され、1990年の領土問題の最終的な解決により東西統一が達成された。日本は1956年の日ソ共同宣言によりソ連との国交を回復させたが、北方領土問題の先送りもあり、政治的関係の進展はドイツほどには進んでいなかった。しかし2022年のウクライナ戦争勃発により、日独のロシアとの関係は一変してしまった。本報告では、独露・日露に加えて日独の戦後の外交関係も概観して、その特徴を考察してみたい。
3.正教会を通してみるドイツの中のロシア 高橋沙奈美(九州大学)
ロシア正教会は、帝政期はロシアの国教として、冷戦期にはソ連の一種の「ソフトパワー」として、ソ連解体後には「ロシア世界」の象徴として、ドイツの諸都市の一隅にその八端の十字架を掲げ続けた。正教会はロシアの国家体制と強く結びついた組織でありつつ、正教の信仰は異論派や反体制派を結び付ける側面をも持ち続けている。ロシア正教という組織を通じて、ドイツに住まうロシア語話者のモザイク状の複雑な世界の一端を描き出すことを試みる。