2023年度日本ドイツ学会奨励賞
受賞作
2023年度日本ドイツ学会奨励賞は、学会奨励賞選考委員会による慎重な選考を経て、衣笠太朗氏(神戸大学大学院国際文化学研究科 講師)『ドイツ帝国の解体と「未完」の中東欧――第一次世界大戦後のオーバーシュレージエン/グルヌィシロンスク』 (人文書院)に決定されました。2024年6月30日、明治大学において開催された日本ドイツ学会大会での授賞式において奨励賞選考委員会の渋谷哲也委員長から選考経過と受賞理由の発表があり、衣笠氏に賞状と副賞が授与されました。
選考理由
2023年度の日本ドイツ学会奨励賞は、衣笠太朗氏の『ドイツ帝国の解体と「未完」の中東欧――第一次世界大戦後のオーバーシュレージエン/グルヌィシロンスク』に決定いたしました。著書は人文書院発行、衣笠氏は神戸大学大学院国際文化学研究科講師で勤めていらっしゃいます。
奨励賞選考委員会は選考委員8名と事務局1名により構成されており、この度も2023年1月から12月に刊行された幅広いドイツ関連分野の研究書を事務局でリストアップした後、それぞれ専門領域の近い選考委員の意見を集約しながら、最終的に候補作3本に絞り込みました。
今年度は研究者としてのキャリアをこれから積み上げようとする方々の著作が揃いました。分野も近現代史、20世紀美術、法制史とそれぞれ異なる領域の研究書となり、この3冊全てを8名の選考委員全員が査読して10点満点で点数をつけました。その集計結果を基に5月17日ZOOMによる選考委員会を開催し、議論を重ねた末に以上お伝えした決定となりました。
先述の通り比較的若手研究者の著作が並んだため、例年に比べて学際的な広がりが弱いものや、論旨の整合性や文章表現などに粗削りな部分が見られるなど、委員の評価点が抜きんでて高い著作は残念ながらありませんでした。また必ずしも一作品に髙評価が集中したわけではなく、むしろそれぞれにおいて研究対象の斬新さや文献資料収集の徹底性などの長所が議論されましたが、最終的には点数と討議で今回の受賞作が他の2本に明白な差をつけて上位となったため、当日出席の選考委員全員の同意を得て、また欠席委員からも後日快い同意を得られ受賞が内定いたしました。以上の結果を6月23日の理事幹事会で報告し、その後の異議申立期間中に反論がなかったため、本作品の受賞が正式に決定された次第です。
以下に簡単に授賞理由を述べさせていただきます。
本書はオーバーシュレージエンという現在のドイツ、ポーランド、チェコに渡る国境地域の第一次世界大戦後における領土問題と住民の分離独立運動に焦点を当て、そこで展開した運動の歴史的前提と1920年代の住民投票を丹念に辿る充実した研究書となっています。元は衣笠氏の博士論文として2019年東京大学に提出された『第一次世界大戦直後のオーバーシュレージエン/グロヌィシロンスクにおける分離主義運動』を加筆修正されたものであり、また本書に先立つ「旧ドイツ領全史―「国民史」において分断されてきた「境界地域」を読み解く」でドイツの周辺地域を幅広く扱った著作に続いて、改めてオーバーシュレージエンという地域に焦点を絞って考察を深めた力作となっています。
現在ではポーランドの「シロンスク」と呼ばれる地域の考察に、「複合国家論」を援用しながら地域の宗教、言語、社会構造から集団の帰属意識を考察し、地域住民の分離主義運動を概観するのが前半です。そして本書後半では1920年以降の住民投票キャンペーンについてドイツ語、ポーランド語の数多くの一次資料を参照し、地図や図表を駆使して多層的な全体像を提示されています。確かに限定された地域の限られた時代の考察であるため一見すると学際的な広がりは見つけがたいのですが、境界領域の小宇宙を丹念に読み解くという試みは予期せぬ視野の広がりを感じさせる面白さも備えています。
近年の様々な概念も果敢に取り入れて考察を展開されていますが、「ナショナル・インディフェレンス」という概念はやや未消化であったり、著作のタイトルにある「未完」というキーワードについて特に結末で展開されますが、その言葉の示唆する方向性、すなわち地域の「完成」とは何かが明確に示されていないように思われました。ただそれは著者衣笠氏の研究の可能性と読みうるもので、今後のご活躍への期待として申し添えておきます。
この度は受賞おめでとうございました。
衣笠太朗 氏の受賞あいさつ
神戸大学の衣笠太朗と申します。ビデオメッセージの形で失礼いたします。
この度は、2023年2月に人文書院から出版されました拙著『ドイツ帝国の解体と「未完」の中東欧――第一次世界大戦後のオーバーシュレージエン/グルヌィシロンスク』に、日本ドイツ学会の奨励賞という大変栄誉ある賞を頂きまして、誠にありがとうございます。拙著をご推薦くださった先生方、そしてご多忙の中で選考の労を取っていただいた委員の先生方に、深く感謝いたします。また、この場をお借りしまして、ここに至るまでの勉学と研究においてお世話になってきたすべての方々に、心より御礼を申し上げます。とりわけ、私には学部、修士課程、博士課程でそれぞれ別の指導教員がいるのですが、この3人の恩師に受賞の報告ができることを何より嬉しく思っております。
私は現在、国際学会への参加のために、ポーランドのグダンスク、かつてのダンツィヒに来ており、その途上でヴロツワフ(ブレスラウ)、オポレ(オペルン)、ポズナン(ポーゼン)で調査を行いました。まずは、そのために授賞式を欠席せざるをえないというご無礼をどうかお許しください。とはいえ、こうしたドイツと中東欧の間の地域、あえて言うならば、いわゆる「旧ドイツ東部領土」に滞在しているタイミングで受賞の栄誉にあずかれるというのは、いささか運命的なものを感じないわけではありません。
拙著に話を移すと、この『ドイツ帝国の解体と「未完」の中東欧』という、博士論文をもとにした書籍は、このドイツと中東欧の間の地域における様々な意味での複雑性と、それをめぐって人々が作り上げてしまった、いかんともしがたい、妄想的なネイション観に関心を抱いたということに端を発しています。ドイツと中東欧の間の地域とは、具体的には拙著で取り上げたシュレージエン/シロンスクのほかに、ポーゼン/ヴィエルコポルスカや、私が今いるかつての東西プロイセン地域などのことです。これらの地域は、歴史をひもとくと、言語的、宗派的、民族的なグラデーションを内包した地域であり、19世紀以降は常にドイツとその東方に位置する諸国民集団との間で地域や住民の国民的本質をめぐる激しい議論が交わされました。そうした議論は「ポスト大戦期」の住民投票キャンペーンと武装闘争へと発展し、さらにそれにとどまらず、最終的には破局的な世界大戦を引き起こす一因ともなりました。
博士論文執筆時の関心の中心には次のような問いがありました。近代のドイツやポーランド、チェコスロヴァキアなどの間で行われたネイション(国民/民族)やナショナリズムをめぐる苛烈な闘争、そうした激論と紛争の舞台となったのは実際にはどのような地域で、そこに住む人々はどのような人々だったのか、彼らはどのような自己認識もしくは自集団認識を有していたのか、そしてそれらが現代といかに結びついているのか、などの問いです。そして、そうした人間集団や地域に関する喧々諤々の議論を歴史学的に分析することで、そうしたことが明らかにできると当初は浅はかながら考えていたのです。人間集団と地域に関するアイデンティティ構築の取り組みはおそらくは決して「完成することのない」ものですが、とはいえ、そうしたものをめぐってもがき苦しんだシュレージエン/シロンスクの人々の軌跡を明らかにすることで、今後の中東欧やヨーロッパの行く末を見通すためのひとつの手がかりが得られるのではないかと愚考しております。現代世界を見渡しても、決して「完成することがない」にもかかわらず、どうにか「完成」させようと人々が突き動かされてしまうネイションという魔物の力は、依然として消えていないよう見えるのです。拙著は「ポスト大戦期」という限られた時代の、オーバーシュレージエン/グルヌィシロンスクのみを対象とした研究ですので、こうした自らの内なる関心と疑問にさえ十分に答えられていないというのが率直な現状認識ではあります。それでも、この受賞を機会により多くの専門家の方々に拙著を読んで頂き、さらなるご批判や課題を頂戴できれば、研究者としてこれ以上の喜びはないと考えております。
最後に、僭越ながら、今後の研究の展望についてお話をさせてください。現在、グダンスクに来ておりますが、まさにこの地は、かのギュンター・グラスを生んだ街でもあります。現在の私の関心は、まさにグラスが体験した故郷の喪失や住民移動という歴史的な出来事にあります。やはりシュレージエン/シロンスクを対象地域としようと考えているのですが、旧ドイツ東部領土は、第二次世界大戦後に夥しい数の移動を経験しています。つまり、すでに川喜田敦子先生のご研究で詳細に明らかになっているように、旧来の住民であった1000万人以上のドイツ系の人々がいわゆる「Vertreibung 追放」の憂き目にあいました。しかし、それだけではなく、ポーランド領からソ連領へと移管された「Kresy クレスィ」と呼ばれる東方地域や中央ポーランドから、数百万のポーランド系の人々が、今度は「Ziemie Odzyskane」、日本語にすると回復領(もともとのポーランド領を回復したという意味)と呼ばれることとなった「旧ドイツ東部領土」へと「Repatriacja 送還」、つまり強制的に移住させられるのです。これらの戦後のポーランド領シロンスクにおける住民移動と地域再編をテーマに、次なる研究に取り組んでいく所存です。
このビデオメッセージはポーランド留学中の安藤良之介さんに撮影してもらいました。ご協力に感謝申し上げます。
本日はどうもありがとうございました。