2020年度日本ドイツ学会奨励賞 濵谷佳奈 氏『現代ドイツの倫理・道徳教育にみる多様性と連携』

2020年度日本ドイツ学会奨励賞

受賞作

2020年度日本ドイツ学会奨励賞は、学会奨励賞選考委員会による慎重な選考を経て、濵谷 佳奈 氏(大阪樟蔭女子大学児童教育学部 准教授)『現代ドイツの倫理・道徳教育にみる多様性と連携—中等教育の宗教科と倫理・哲学科との関係史—』 (風間書房)に決定されました。2021年6月19日、オンラインで開催された日本ドイツ学会大会での授賞式において奨励賞選考委員会の西山暁義委員長から選考経過と受賞理由の発表があり、濵谷氏に賞状と副賞が授与されました。

選考理由

2020年度の日本ドイツ学会奨励賞は、 濱谷(はまたに)佳奈さんの『現代ドイツの倫理・道徳教育に見る多様性と連携―中等教育の宗教科と倫理・哲学科との関係史』風間書房 に授与することとなりました。

以下、審査の経緯について、簡単にご報告申し上げます。

今回、奨励賞候補作品として査読対象となりましたのは、濱谷さんの作品を含め、合計4点でした。このことに関しまして、例年の通り、自薦および他薦によるものでしたが、募集にあたりまして、学会HPにおいて募集の呼びかけが更新されておらず、昨年度のままとなっていたことが、査読作品確定の段階ではじめて判明いたしました。そのため、近藤理事長をはじめ学会事務局ともご相談した結果、次回2021年度については、2020年に刊行された作品も候補となりうることとし、理事幹事会においてご承認をいただきました。この不備につきまして、学会奨励賞選考委員会を代表しまして心よりお詫びいたしますとともに、再発の防止に万全を期す所存でございますので、何卒ご容赦いただきますよう、お願い申し上げます。

さて、この4作品につきまして、本年度も7名の選考委員が査読し、それぞれの作品の評価を事務局に提出しました。評価は従来通り、各委員がそれぞれの作品に所見とともに10点満点で評点を付け、それを集計する形で行いました。その上で、5月30日、事務局村上さんを含め委員7名の参加によるオンライン会議での合議のうえ、受賞作として満場一致で濱谷さんの作品を選出いたしました。そのうえで、この結果を6月5日の理事幹事会に答申し、承認をいただき、受賞が確定した濱谷さんにご連絡を差し上げた次第です。

次に授賞理由についてご報告いたします。

濱谷さんの作品は、現代ドイツの公教育における「宗教科」と「倫理・哲学科」との関係性とその関係の歴史的変容を、それらの制度的地位、さらに実際のカリキュラム内容、授業実践という複数の観点から明らかにしようとするものです。世俗国家と宗教の相克関係はもちろんドイツに限られた現象ではありませんが、ドイツの場合、歴史的に宗派とも密接に関連した連邦制をとり、また宗教に否定的であった東ドイツを統合したという歴史的背景。そして、存在感を増すイスラーム移民や、歴史的経緯から人数は少なくとも重要な地位を占めるユダヤ教徒たち。こうした複雑な多様性をもつドイツにおいて、宗教と哲学・倫理は学校教育においてどのように位置づけられているのか。この重要な問いに対し、濱谷さんの研究は、法制度、カリキュラム、そして授業実践などの多面的にアプローチされています。そしてそこから、宗教間対話や多様な価値観の共存の実現へ向けて取り組む現在のドイツの努力と葛藤を教育という場所から浮かび上がらせたており、教育学という1つの分野にとどまらず、現代ドイツ社会とその歴史的背景に関心をもつ者全般に貴重な示唆を投げかけているといえます。こうしたことから、本作品は日本ドイツ学会奨励賞の趣旨に照らしてその受賞にふさわしいものであるとの評価で、選考委員会は一致いたしました。
 
なお、前に述べました通り、本年度の募集について不備がございましたが、濱谷作品に対する評価は、評点の平均からみても歴代の受賞作と変わらず、高いものであったことを申し添えさせていただきます。
 
最後に、受賞された濱谷さんに心からのお祝いを申し上げて、報告を終えたいと思います。濱谷さん、まことにおめでとうございます。

濵谷佳奈 氏の受賞あいさつ

この度は、拙著『現代ドイツの倫理・道徳教育にみる多様性と連携−中等教育の宗教科と倫理・哲学科との関係史−』(風間書房刊)を2020年日本ドイツ学会奨励賞という栄えある賞に選定していただき、誠に光栄に存じます。本書をご推薦くださいました方々、選考委員会の先生方、これまでの研究生活でご指導を賜りました先生方、ドイツでの調査の過程でご協力くださったすべての方々に深く感謝申しあげます。この賞が「ドイツ語圏に関する学際的な学術研究」の発展に資することを目的として設けられたと知り、今後いっそうの精進を重ね、研究の深まりと広がりを目指して励んでまいりたいと存じます。

本書は、現代ドイツの中等教育段階における倫理・道徳教育にみられる「多様性」と「連携」という構造を明らかにすることを目的に掲げ、「宗教科」と「倫理・哲学科」との関係に注目し、そのあり方が1960年代のヴァチカン公会議以降どのように変化しているのかを考察しています。とりわけ、公立学校でありながら倫理・道徳教育が単純に「世俗化」されず、個々の宗派・宗教・世界観の尊重を貫いて特異なあり方が形成されてきた歩みを、多層的な分析を試みながら探ってゆきました。

ひとくちに「ドイツ」といっても決して一枚岩ではありませんので、これをふまえて本書では、「宗教科」と「倫理・哲学科」の法的位置づけが特徴的かつ対照的な四つの州の事例に焦点を当てています。日本語で書く論文としてやはり連邦全体を見通す必要性を重視したところ、予想以上に長い年月がかかってしまったという反省はあります。けれども、複数州における両教科の法的地位、カリキュラム、授業実践の三つの領域に注目することで、各州が各様に倫理・道徳教育のあり方を確立してきた様子が浮き彫りになりました。これによって、それぞれが「多様性」という特性をもつ宗派的宗教教育と世俗的価値教育という、大きく二つの輪郭をもつ倫理・道徳教育の複雑な関係性とその変容を描き出し、それが指し示す意味を考察するという道が開かれたのだと思います。

ドイツの倫理・道徳教育にみられる「多様性」と「連携」という構造の解明をとおして、本書で特に強調したいと思った点は、次の二点です。

第一に、ドイツの事例から言えば、近代公教育の一大特色とされる「近代化=世俗化=脱宗教化」という図式は基本法の制定期からすでに当てはまらない、という点です。ドイツ基本法は、キリスト教の宗派教育を公立学校で行うことを規定しつつも、その宗教科にわが子が出席するかどうかは、保護者が決定する権利も認めています。現在に至る宗教科とは、第二次世界大戦後のナチズムへの反省、第二ヴァチカン公会議、東西ドイツ統一といった歴史的文脈の中で、葛藤をくり返しながらその結果として出てきたものであり、「宗派教育」という枠組みこそ維持されているものの、そればかりを強化するものではありません。むしろ、世俗的価値教育としての倫理・哲学科との連携が模索されています。他方の倫理・哲学科においても、その教育内容では宗教科と目標を共有し、内容も共通する部分が多いと確認されました。このドイツの宗派的宗教教育と世俗的価値教育の特異性は、公教育のなかに、多種多様な宗派や世界観に由来する宗教性や倫理性の各々を、ある程度担保する形で持ち込むことが、倫理・道徳教育のひとつのモデルとして成立しうることを示唆していると考えられます。

第二に、各国が宗教や価値観など各種の多様性をどう尊重していくのかを考える上で、ムスリムの増加などによる信仰の多元化への対応を進めるドイツの事例が、格好の例を提供しているのではないか、という点です。日本では、教育基本法第9条が公立学校での「特定の宗教のための宗教教育」を禁止しているため、宗教による教育をどのように位置づけるかについて検討することが少ないといえます。同じように「宗教」や「道徳」といっても、教科としてのコンテクストも社会的文脈もドイツとは全く異なります。しかし、自他の宗教に関する理解や寛容は、宗教に起因するとされる軋轢や分断が生じている現代社会において、無くてはならない重要な基盤です。政教分離の原則を掲げているか否かに関わらず、学校教育のなかで宗教教育をどう位置づけ、どのように行うのか、また、宗教や価値観など各種の多様性をどう尊重していくのか、これらの問題をどのように解決していくのかという方策のあり方が問われているといえます。

最後になりますが、いくつかの書評で頂戴しました貴重なご指摘にお応えしていけるよう、また、日本とドイツの間の教育実践の交流に少しでもお役に立てるよう、さらに研鑽を積んでまいりたいと存じます。

この度は、本当にありがとうございました。