2019年度日本ドイツ学会奨励賞 秋野有紀 氏『文化国家と「文化的生存配慮」』
2019年度日本ドイツ学会奨励賞 川喜田敦子 氏『東欧からのドイツ人の「追放」』

2019年度日本ドイツ学会奨励賞

受賞作

2019年度日本ドイツ学会奨励賞は、学会奨励賞選考委員会による慎重な選考を経て、秋野有紀氏(獨協大学外国語学部 准教授)『文化国家と「文化的生存配慮」—ドイツにおける文化政策の理論的基盤とミュージアムの役割』 (美学出版)、川喜田敦子氏(東京大学大学院総合文化研究科 准教授)『東欧からのドイツ人の「追放」—二〇世紀の住民移動の歴史のなかで』 (白水社)に決定されました。2020年6月21日、オンラインで開催された日本ドイツ学会大会での授賞式において奨励賞選考委員会の西山暁義委員長から選考経過と受賞理由の発表があり、秋野氏と川喜田氏に賞状と副賞が授与されました。

選考理由

2019年度の日本ドイツ学会奨励賞は、秋野有紀さんの『文化国家と「文化的生存配慮」—ドイツにおける文化政策の理論的基盤とミュージアムの役割』美学出版および川喜田敦子さんの『東欧からのドイツ人の「追放」—二〇世紀の住民移動の歴史のなかで』白水社の2作品に授与することとなりました。

以下、審査の経緯について、簡単にご報告申し上げます。 

今回、奨励賞候補作品を選定する前段階として、本年度より選考委員会事務局を担当されることになった村上宏昭さんより、昨年度と同様、対象期間に出版されたドイツおよびドイツ語圏に関わる書籍のリストを選考委員会、および理事幹事会に示していただき、それと同時に奨励賞候補作品の推薦を学会員の皆様にお願いいたしました。

その結果、4作品が奨励賞候補作品として推薦されることになりました。うち1作品につきましては、本年1月、2009年度の深井智朗氏の奨励賞受賞取り消しに際し、今後学際性を維持しつつ再発を防止するための取り組みとして、学会HPにおいて報告させていただきましたように、「候補作品が、選考委員会がカバーする専門領域から外れる場合、学会の内外を問わず、可能な限り近接分野の専門家に調査を委嘱する」ということを実行いたしました。ここで鑑定を執筆していただいた方、また鑑定者の紹介にご尽力いただいた方のお名前を挙げることは差し控えさせていただきますが、ご協力に心から感謝を申し上げたいと思います。

さて、この4作品につきまして、本年度より6名へとスリム化した審査委員が査読し、それぞれの作品の評価を事務局に提出しました。評価は従来通り、各委員がそれぞれの作品に所見とともに10点満点で評点を付け、それを集計する形で行いました。その上で、5月31日、委員全員の参加によるオンライン会議での合議のうえ、受賞作2作品を決定いたしました。

最初に、秋野さんの作品にかんしましては、ドイツにおける文化政策がどのような歴史的背景の下に成立、発展してきたのかを跡付けたうえで、戦後の西ドイツ、そして「採算性」の名のもとに市場原理が文化領域により浸透するようになった統一以降のドイツにおいて、文化の「公共性」がどのように定義され、そして実践されてきているのかを主題とした、きわめて意欲的な研究と評価されました。「文化的生存配慮」をキー概念として、法制度、行政と、ミュージアムにおける実践の双方向からのアプローチは、議論に奥行きを与え、そこに示された民主主義社会と文化の関係のあり方をめぐるドイツの試行錯誤は、今回、新型コロナ感染症問題が図らずも露呈させた日本における文化の公共性の問題を批判的に考えるうえでも、大いに参考になるであろうことが、多くの委員によって指摘されました。

次に、川喜田さんの作品につきましては、「追放」という長くナショナリズム、一国史的枠組みのなかで語られ、研究されてきたテーマを、時間軸と空間軸を広く設定し、それがいかにヨーロッパ的次元のなかで構想、実行されてきたのか、また追放民たちの統合の複合的なプロセス、そして社会、学術における記憶や神話の形成にいたるまで、さまざまな側面を豊富な資料をもとに堅牢に論じた労作である、という点で評価は一致しました。ドイツ史をどのようにヨーロッパ、さらにはグローバルな文脈の中に位置づけるか、ということについては、近年さまざまな研究が行われておりますが、川喜田さんの研究は20世紀現代史にかんするその重要な例であり、「住民移動」をかく乱要因ではなく、むしろ重要な構成要素とする視点は、ドイツにかんする学際的なアプローチに大いに刺激を与えうるものである、と評価することができます。

以上、2作品とも、ドイツ研究の学際的発展に資する、という奨励賞の趣旨に十分にかなう研究であるという点について、選考委員会で意見は一致し、2作品同時受賞ということに決定いたしました。このことを6月6日の理事幹事会に答申し、承認をいただきました。   最後に、受賞されたお二人に心からのお祝いを申し上げて、報告を終えたいと思います。秋野さん、川喜田さん、まことにおめでとうございます。

秋野有紀 氏の受賞あいさつ

獨協大学の秋野有紀と申します。この度は、拙著『文化国家と「文化的生存配慮」』に日本ドイツ学会奨励賞という名誉ある賞を与えていただき、誠にありがとうございました。この場をお借りして、本書を御推薦下さった方、選考委員の先生がたをはじめ、これまでの研究生活でお世話になってきた全ての方々に、心よりの御礼を申し上げたく存じます。

本書は、ドイツの文化政策を扱っています。2000年代半ば、ドイツには、ボン基本法を改正し、国家目標を定める第20条に、民主的、社会的と並び、文化的を入れられるか、という議論がありました。そうなると、ドイツを「文化国家」と呼ぶことも可能になるわけですが、ここで大きな論争となったのが、本書のタイトルの文化国家と生存配慮でした。

文化国家には先進国という意味もあります。しかしある一時期、ドイツで、集権的かつ闘争的な用法が現れた時期がありました。生存配慮は、政策理念を実施する行政レベルの用語です。しかしこちらもナチ時代に、法に優越する権力を行政に集中させるための理論となりました。それゆえ今日でも、留保が付きます。

本書はこの2つを手掛かりに、3つの方向から、ドイツがどのような思いで、文化政策を形作ろうとしてきたのかを、探ってゆきました。1つ目は、近代国民国家揺籃期の文化振興法制化の意図、2つ目は、戦後西ドイツの文化政策理念の狙い、そして3つ目は、80年代以降、そうした政策理念を可視化していったミュージアム制度の意味です。

ナチ時代の過去の反省から、ドイツの文化政策の権限は、州と自治体にあります。しかし州であれ、自治体であれ、政治権力が芸術に介入する危険性は同じです。本書がドイツの特徴として、一番強調したかったのは、それを見越して、1970年代に「新しい文化政策」を始めるにあたって、批判的民主主義というものが、文化政策の基本に、なかば期待を込めて埋め込まれ、その上に今日の制度がある、という点です。

日本では、「ドイツも福祉に手厚いヨーロッパの国のひとつだから、自ずと文化予算が潤沢なのだろう」と思われがちです。けれども、ドイツではしばしば、「文化は、民主主義の基盤」であり、「文化政策は、(Sozialpolitikではなく)Gesellschaftspolitikである」ことが強調されます。つまり「自らの理性を公的に(・・・)使う」という意味で批判精神を持った市民が、自らの手で、統制し、形作っていくことを重視する政治領域の一つと、理念的には、考えられています。こうした政策や、既存学問の批判的な問い直しという潮流が相互に影響を与える中から、ミュージアム論争や歴史家論争が、起こっていきます。

今日わたしたちはドイツのミュージアムで、多くのギャラリーガイドや音声ガイド、展示の説明を見かけます。議論を喚起するこうした仕事を担うために制度化されているのが、フェアミットラーです。もはやペダゴーゲと言われないのは、彼らが、来場者に作品の情報を教養として「教える」存在ではないからです。彼らは、既存の価値観や思考枠組を揺さぶり、分析視点の複数性を、住民と一緒に生み出すためにいる専門です。

さて最後になりますが、ドイツの政策立案では、基本中の基本としてBestandaufnahme、つまり、まず現状把握をせよ、ということが、口を酸っぱくして言われます。しかし私自身は、自分の関心のままに潜ったり、浮かんだり、回り道ばかりしています。本書でも、歴史や哲学思想に触れないと政策の背景が理解できない部分に関しては、その時々に学ぶよう努めては参りました。しかし、専門家の方々から見ると、理解が表層的で、間違いもあるかもしれません。この受賞を機に、本書が様々な分野の専門家の方がたの目に留まり、さらなるご批判を戴けましたら、大変有難く存じます。

本日は、貴重な機会を設けていただき、誠にありがとうございました。

以上をもちまして、私の挨拶に代えさせていただきたく存じます。

川喜田敦子 氏の受賞あいさつ

このたびは、昨年春に白水社から出版いたしました『東欧からのドイツ人の「追放」――二〇世紀の住民移動の歴史のなかで』に対して日本ドイツ学会の学会奨励賞をいただけることになり、大変光栄に思っております。先ほど、学会奨励賞選考委員会の西山委員長から、身に余る評価のお言葉をいただいたことにつきましても御礼を申し上げます。

この本のもとになる研究を始めたのは、1990年代の終わり頃のことです。被追放民の統合というのは、私が博士論文で取り上げたテーマでした。この本の後書きにも書いたことですが、論文を書き終えた後、すぐにも本にしたほうがよいとあちらこちらから言われながらも、私は、博士論文そのままの形ではどうしても出版することができませんでした。以来、20年近くかけて、このテーマをどういう形で世に問えばよいのかということを考え続けてきたことになります。

それは、修士・博士あわせて5年間という、人文系の研究者としては際立って短期間のうちに博士論文を書いて大学院を出てしまった私にとって、つまり、研究者として一人前になる前に修業期間を終えてしまったということを切実に意識せざるをえなかった私にとって、苦しい時期ではありましたが、大学院を出たからこそ、対象地域も方法も違う方たちと自由にいろいろなプロジェクトをご一緒できるようになり、少しずつものが見えるようになっていった、学びと成長の時期でもあったのだと思います。

20年のうちに、いつの間にか、後進を育てる身になりました。これほど時間をかけることを誰にも勧めはしませんが、これから研究者になろうとする若い世代が、どういう道を通ることになろうとも、自分なりの歩みを重ねて、いつか納得のいく仕事ができるようになる――その手助けをすることができればと考えております。

この本を書きながら、私のなかには3つの大きな関心が底流としてありました。第一に、歴史の記述としては、ドイツという一国史の枠組みを超えて、ヨーロッパ、さらにはアジアをも含み込むような大きな視野のなかで対象をとらえたいということです。これについては、この本のなかだけでは十分に実現することができませんでしたが、昨年11月に名古屋大学出版会から共編として出した『引揚・追放・残留――戦後国際民族移動の比較研究』という本のなかで、さらに一歩進めることができたかと思っております。

第二に、歴史の事象がどのように歴史の語りになっていくのかを、現実の歴史的文脈のなかで考えたいという関心もありました。何度か書評会を設定していただいたなかで、この点についてはあまり議論になったことがないのですけれども、実はこれが、もともとの私の問題関心の核です。戦後の国内情勢、国際情勢が、「追放」の当事者に対する統合政策だけでなく、彼らと彼らの経験をどう語るかも規定していく――東欧からのドイツ人の「追放」というのは、私にとっては非常に面白い素材でした。

第三の関心は、自分の扱う歴史的なテーマについて語ることが、今、自分の生きている社会と世界に意味をもつものでありたいということです。今回の本は、「ひとの移動」が大きな問題になったとくに2015年以降の情勢を踏まえて、「他者と生きる」ということを歴史の連なりのなかで考えようとしたものです。また、この本を日本で出版するということは、加害国の被害体験をどう語るかということが重要なモチーフになるということでもありました。 今、この本の後にとりかかろうとしている仕事は、少し違うテーマになりますが、根本的な関心には通底するものがあるのではないかと思っております。次のテーマにもしっかりと取り組み、また皆様のお目にかけることができるようなものにしたいと考えております。今回、学会奨励賞をいただけたことは、次の仕事の弾みになります。このたびは本当にありがとうございました。