2018年度日本ドイツ学会奨励賞
受賞作
2018年度日本ドイツ学会奨励賞は、学会奨励賞選考委員会による慎重な選考を経て、石井香江氏(同志社大学 グローバル地域文化学部 准教授)の『電話交換手はなぜ「女の仕事」になったのか:技術とジェンダーの日独比較社会史』(ミネルヴァ書房)に決定されました。2019年6月30日、法政大学市ケ谷キャンパスにおいて開催された日本ドイツ学会大会に際して授賞式が行われ、奨励賞選考委員会の村上公子委員長から選考経過と受賞理由の発表があり、日本ドイツ学会香川檀理事長から石井氏に賞状と副賞が授与されました。
選考理由
2018年度のドイツ学会奨励賞は、石井香江『電話交換手はなぜ「女の仕事」になったのか:技術とジェンダーの日独比較社会史』ミネルヴァ書房刊 に差し上げることになりました。
審査の経緯について、簡単にご報告申し上げます。
今回、奨励賞候補作品を選定する前段階として、奨励賞事務局担当の弓削さんから、対象期間に出版されたドイツおよびドイツ語圏に関わる書籍のリストが示され、奨励賞候補作品としての推薦を学会員の皆様にお願いいたしました。
その結果、4作品が奨励賞候補作品として推薦され、奨励賞審査委員6名ないし7名がそれらの作品を読み、評価したものを所見と共に事務局に提出しました。
作品によって所見を寄せた委員の数が異なるのは、各々の審査委員のやむを得ない事情によります。また、それによって不公平が生じないよう、評価の際には考慮いたしました。
評価は従来通り、各委員がそれぞれの作品に10点満点で評点を付け、それを集計する、という形で行いました。その上で、5月26日、出席可能な審査委員が集まって合議の上、受賞作を決定いたしました。
石井作品は全ての審査委員から非常に高く評価され、受賞に疑義があるとすれば、既にアカデミック・キャリアに乗っていらっしゃる方を対象とするのは、奨励賞として適当なのか?という点と、著者の年齢のみである、ということになりました。
第1の点は、これまでも既に大学で定職をお持ちの方に何度も奨励賞を差し上げておりますので、今回それを問題にする必要はないと考えられます。第2の年齢に関しては、本作執筆時には奨励賞の年齢制限内であったということで、クリアできるであろうと判断いたしました。
石井香江さんは、既にご存じの方も多いかと存じますが、同志社大学准教授でいらっしゃいます。そして、受賞作『電話交換手はなぜ「女の仕事」になったのか』は、膨大な人事資料をドイツ、日本双方について丁寧に読み込み、そのデータに基づいて、「電信」「電話」に携わる男女の就労者の生活を描き出し、電話交換手=女というイメージ成立の裏にある歴史を日独対照しつつ明らかにしようとするものである、と纏めることができるでしょう。
本作は本年5月、昭和女子大学女性文化研究賞の受賞対象になり、石井さんはこの賞を受賞されました。こちらの賞は「男女共同参画社会形成の推進あるいは女性文化研究の発展に寄与する研究を対象」とするものだそうですが、本作の内容は、当然ながら、この賞の対象となるに相応しいものです。しかし、それだけではありません。ある委員は本作について次のように評価しています。
「従来の専門職研究の枠を大きく超える力作。比較ジェンダー史・比較社会史研究の新境地を開いた。」
歴史学の立場からも、ジェンダー研究の見地からも、社会文化研究あるいは女性文化研究の場から見ても高く評価される本作は、分野の壁を越えた研究を目指すドイツ学会の差し上げる奨励賞の対象として最適であると言ってよいのではないでしょうか。
石井香江 氏の受賞あいさつ
ただいまご紹介にあずかりました同志社大学の石井香江と申します。この度は、拙著をドイツ学会奨励賞にお選びいただきまして、誠にありがとうございました。ご推薦下さった方をはじめ、ご講評下さった選考委員の先生方に、この場を借りまして、深くお礼を申し上げたいと思います。幾つかの書評で頂きました貴重なご指摘、ご批判の数々を真摯に受け止め、今後の研究活動で取り組んでいく課題にしたいと存じます。
早速ですが、私の研究のバックボーンとなる学問分野は社会学です。現代社会の問題に対する関心が先にあり、その由来を探るために歴史的アプローチをとる姿勢を明確にしてきました。拙著もこうした研究スタイルから生まれていますので、理解が得られないのではないかと危惧していましたし、もっと工夫の余地があったことも強く自覚しております。ですので、受賞のご連絡を頂いた時は、正直なところ大変驚きました。社会学と歴史学の対話を、強引ながらも試みようと挑戦した点が、学際的研究として評価して頂いた理由ではないかと推察しています。
本書は、19世紀後半から20世紀初頭において、この時代を大きく動かした情報通信技術である電信・電話の誕生と発展のプロセスに注目し、それがドイツと日本において、技術を扱う労働力の配置、職場のジェンダー秩序に与えたインパクトについて比較検討しています。世界のグローバル化を牽引した電信・電話の、インフラとしての役割に注目する経営史・経済史的な研究に比べ、拙著のように電信・電話を扱う職場、そこで働く現業労働者・オペレーターに焦点を当てて、時代の特徴を描きだす社会史的・技術史的研究は、日本ではあまり見られませんでした。
ところで、本書の表紙の絵は、読者の方にとってインパクトが強いようで、関心を持ってくださる方が少なくありません。これは、民衆の日常を描いたドイツの画家ヴェルナー・ツェーメが、19世紀末のベルリンの電話局の様子を描いたものです。電話交換手といえば女性の職業の先駆けであり、女性たちが切り拓いた職業として知られていますが、歴史をたどれば男の仕事として出発しました。この絵は、技術革新を一つの契機として、電話交換手が男性から女性市民層の仕事に移り変わっていく瞬間をとらえた貴重な一枚といえます。
電話交換手が女の仕事であった事実についてはよく知られていますが、その理由や経緯について、必ずしも説得的な説明がなされてきたわけではありません。本書ではこのブラックボックスに迫るために、逓信省や各地の電信・電話局の公文書、社史、従業員が購読する機関誌や新聞に加え、職場のリアリティを描く回顧録や小説までを検討しました。また日本に関しては聞き取り調査も試みました。
本書の特徴は電話交換手が女の仕事になっていく過程を、電信技手が男の仕事になっていく過程と表裏一体のものとしてとらえ、関係史的に分析している点です。もう一つの特徴は、日独間の比較史であるという点です。電信・電話は欧米で開発され、ほぼ同時期に世界中に伝播し、世界の隅々を結びました。このため各国は、技術の使い方や担い手についての情報を共有し、互いに参照し合っていたのです。比較の視点は自ずと生まれ、ドイツと日本の間に多くの共通点を発見する一方で、技術革新の速度や「職場文化」の有無、その持続性という相違点も確認できました。本書では比較という方法を自己目的化するのではなく、日独の間に相違点を見出し、そこを可能な範囲で掘り下げるためのツールとして活用しました。ご批判はありましたが、ジェンダー秩序を日々生成する職場文化の存在は、一国史的な枠組みで研究していたのでは、気づきえなかったことと思います。
ただし、日本の職場文化に注目したがゆえに、歴史学では重要と思われるテーマ、例えば二度の世界大戦時の国内外での女性労働の実態を掘り下げることは、あえてしませんでした。電信・電話は重要な軍用技術でもありましたし、女性の戦争への動員というテーマとは切り離せません。こうした課題については、今後あらためて正面から向き合っていくつもりです、と決意表明をさせていただき、私からのご挨拶を終わらせていただきます。本日は誠にありがとうございました。