第35回 日本ドイツ学会大会
開催概要
- 開催日:2019年6月30日(日)
- 会 場:法政大学市ケ谷キャンパス ボナソアード・タワー
フォーラム
フォーラム1 ドイツは移民の統合に失敗したか?-教育政策の視点から- 司会:近藤孝弘(早稲田大学)
1)ドイツ社会におけるアウスジードラーの統合 -言語教育の変遷と第二世代の言語状況からの考察- 佐々木優香(筑波大学大学院)
本報告は、旧ソ連出身者を中心とする90年代に急増したアウスジードラーのドイツ社会への統合について、言語面に着目して考察するものである。具体的には、まず先行研究をもとに、アウスジードラーが一般に統合の成功例と見られていることを確認する。次に第二世代以降に対する言語教育に焦点を移し、統合のための諸施策と、現地調査を通して明らかになった第二世代の言語状況を提示する。そのうえで改めて現時点での統合の到達点を確認することを試みる。
2)統合の一助としての移民の親への教育支援 -ドイツにおける異文化間教育の文脈からの再考- 伊藤亜希子(福岡大学)
本報告は、「統合の失敗」という論調の下で見過ごされがちな、移民の統合に関わる学術的・実践的努力とその課題を検討することを目的とする。具体的には、2000年以降の異文化間教育学の展開を概観し、就学前の子どもの言語促進と親のエンパワメントを目指した支援例について、特に移民の親に着目しつつ、支援の波及効果も含めて取り上げる。その上で、蓄積されてきた経験から得られる知見と残された課題を検討する。
3)学校における第二言語としてのドイツ語教育 立花有希(宇都宮大学)
近年、ドイツ語の習得が学業達成ひいては統合の鍵であることが繰り返し謳われ、就学前教育や職業教育を含むあらゆる教育段階でドイツ語教育が重視されている。「第二言語としてのドイツ語」教育、あるいは「学習言語としてのドイツ語」教育として位置づけられるこうした実践の成果と課題について、連邦レベルで展開されている各種プロジェクト、行政による施策、ドイツ語教育に関する教員養成・研修の現状から検討してみたい。
フォーラム2 ドイツ・ハレ市における移民難民の社会統合 ―フィールドワーク中間報告― 司会:藤田恭子(東北大学)
2015年以降の移民難民の動向を踏まえて、ザクセン・アンハルト州ハレ市は市当局、教育機関、宗教団体、NPO 等を横断する社会統合のための支援ネットワークを拡充するとともに、市長を先頭に反移民・反難民の示威行動への明確な反対姿勢を示した。旧東独地域の反移民・反難民の動向がしばしば注目されるなか、ハレ市を事例として地方自治体の移民難民の受け入れに関わる諸施策の成果と課題とを明らかにするため、ヨーロッパおよび中東地域研究者から成るプロジェクトチームが、2016年度のパイロット調査をもとに、2017年度より4年計画でフィールドワークを実施中である。本フォーラムにはプロジェクトより3名が参加する。社会統合のための支援ネットワークの概要を示したうえで、公的支援を得ているNPO、教育機関、中東系住民のNPOや宗教団体の視点に分けて、中間報告を行う。
1)ハレ市移民統合専門官事務所と統合ネットワーク、およびNPOの役割 佐藤雪野(東北大学大学院)
2)学校教育機関の可能性と課題 ―初等および中等教育機関を中心に― 藤田恭子
3)中東系の住民とNPO、モスクの活動 大河原知樹(東北大学大学院)
フォーラム3 オーストリア=ハンガリーと日本 ―国交樹立150周年を記念して― 司会:桑名映子(聖心女子大学)
1)1873年ウィーン万国博覧会と日本 伊藤真実子(学習院大学)
1873年のウィーン万国博覧会は、明治新政府にとって最初の万博参加の機会となった。この経験は、その後の日本による海外での万博参加、国内での博覧会開催、博物館の建設にも影響を与え、万博に派遣された官僚、職工は殖産興業政策を牽引し、明治前半の海外技術伝習、伝播の一翼を担った。さらにウィーン万博終了後、日本の展示物がどのような運命をたどったのか、その経緯についても報告する。
2)日本・オーストリア=ハンガリー関係史のひとこま ―皇位継承者フランツ・フェルディナントを手がかりに― 村上亮(福山大学)
オーストリア・ハンガリーの皇位継承者フランツ・フェルディナントが1893年の夏、1か月にわたって日本に滞在したことはあまり知られていない。彼は日本で何に関心を抱いたのだろうか。また、彼の眼差しはいかなる特徴をもっていたのだろうか。本報告は、「サライェヴォの犠牲者」にとどまらないフランツ・フェルディナントの「記憶」に光を当てつつ、日本・オーストリア=ハンガリー関係史の再考を試みる。
3)海軍を通じた日本とオーストリア=ハンガリーの交流 大井知範(清泉女子大学)
本報告では、オーストリア=ハンガリー海軍の軍艦、とりわけ東アジア常駐軍艦と日本との間の日常的な交流に注目し、そうした友好親善が持った意味を当時の国際関係の枠組みのなかで論じる。両国は1914年夏、ドイツ領膠州湾で戦火を交えることになるが、当時の日墺二国間関係の展開に及ぼしたドイツの存在を考慮に入れながら、友好から戦争へ至る日本とオーストリア=ハンガリーの関係史を再検討してみたい。
シンポジウム
ヴァイマール100年──ドイツにおける民主主義の歴史的アクチュアリティ──
- 開催時刻:13時30分-17時
- 基調講演:ベンヤミン・ツィーマン(シェフィールド大学) ドイツ語。日本語翻訳を配布。
- パネリスト:板橋拓巳(成蹊大学)・今井宏昌(九州大学)・ 速水淑子(横浜市立大学)
- 司会:小野寺拓也(東京外国語大学)・西山暁義(共立女子大学)
2019年はヴァイマール憲法が制定されて100年目となる。革命と敗戦の後に成立したヴァイマール共和国の歴史は、その不安定さと崩壊の歴史から、その後の共和制にとって、社会権や女性参政権などの点で先駆的存在でありつつも、ナチによる権力掌握を防ぐことができなかったことから、克服されるべき対象とも見なされてきた。近年でも、排外的ポピュリズムの台頭のなかで、民主主義に胚胎する不安定さが改めてクローズアップされ、そこからヴァイマール時代との類似性を指摘する議論がある一方、そうした類似性は時代の文脈を無視したものであり、ヴァイマール共和国の歴史的位置づけを歪めるものとなるという批判もある。本シンポジウムは、ドイツの「第一共和制」の解釈をめぐる2つのベクトル、すなわち「歴史化Historisierung」と「現在化Vergegenwärtigung」をキーワードに、政治、社会、文化の諸相とその相互関係から、21世紀の今ヴァイマール共和国の歴史が提起する(しうる)問題を議論することにしたい。
メインスピーカーは、イギリス・シェフィールド大学教授のドイツ人歴史家、ベンヤミン・ツィーマンBenjamin Ziemann氏にお願いした。ツィーマン氏は、第一次大戦期とその直後のドイツ農村研究によって一躍その名を知られる研究者となり、その後は宗教(とりわけカトリック)の社会史、第一次大戦と暴力、ヴァイマール共和国における記憶の文化などについて、次々と単著を刊行してきた。そして、現在準備されている『オックスフォード・ハンドブック ヴァイマール共和国史』の主編者でもある。ヴァイマール共和国を中心にしながらもそれにとどまらず、20世紀全般のドイツ史について実証、理論の両面から数多くの業績を上げてきた歴史家である。
ツィーマン氏の基調講演に対し、日本側からは、政治(思想)、社会、文化それぞれの分野を専門とする研究者にパネリストとして登壇いただき、自身の分野・研究から見たヴァイマール共和国の歴史的位相と現在性について語っていただく。社会の観点からは今井宏昌氏(九州大学)に、政治の観点からは板橋拓巳氏(成蹊大学)、文化の観点については速水淑子氏(横浜市立大学)が、それぞれコメントを行う。