第33回 日本ドイツ学会大会
開催概要
- 開催日:2017年6月4日(日)
- 会 場:筑波大学 東京キャンパス 文京校舎
フォーラム
フォーラム1 音楽による共同体 ― ヒンデミットの創作と実践にみる 司会:玉川裕子(桐朋学園大学准教授)
ヒンデミットの「共同体」 ― 1920年代の試み 藤村晶子(桐朋女子高等学校音楽科/桐朋学園大学音楽学部)
パウル・ヒンデミットは旧世代の価値観を無遠慮に打ち壊す「新音楽」の旗手であったが、ヴァイマル共和国中期からはいわゆる実用音楽の実践に精力を傾け、新たな「共同体のための音楽」の模索へと舵を切る。しかもそこで想定された共同体は、青年音楽運動や社会主義思想など、互いに相反する政治志向との接続可能性を有していた。ヒンデミットの考える共同体概念の変遷を、1922年から1927年という社会的脈絡のなかで明らかにし、彼の多岐にわたる音楽実践に投影された「危機の時代」の問題意識をさぐりたい。
芸術家と「共同体」 ― ヒンデミットのオペラ《画家マティス》と《世界の調和》 中村 仁(桜美林大学、お茶ノ水女子大学、駒澤大学非常勤講師)
画家グリューネヴァルトを主人公にしたオペラ《画家マティス》(1938)において、芸術家の創作は農民戦争という生々しい現実との対決を強いられる。一方、オペラ《世界の調和》(1957)では、三十年戦争を前にした天文学者ケプラーの孤独は、「世界(宇宙)の調和」という抽象化されたイデーによって救済される。動乱の時代を舞台にした二つのオペラ作品の分析を通じて、1920年代の「音楽の共同体」をめぐる問いのその後の展開を明らかにしたい。
フォーラム2 ハンブルクの電力事業の2つの再公有化と日本の自治体新電力
山下紀明(認定NPO法人環境エネルギー政策研究所主任研究員・事務局長)
司会:村山 聡(香川大学教授)
ドイツの自治体には電力事業を担うシュタットベルケ(Stadtwerke)が存在しているが、 1990年代から多くの電力事 業は私企業に売却された。しかし2010年頃から電力事業を自治体に取り戻す「再公有化」が盛んとなり、ハンブルクは発電・小売事業を行うHamburg Energieと配電事業を行うStromnetz Hamburgの2つの再公有化を行った。ただし、その過程とアクターは大きく異なる。一方日本では、2016年度から約20の自治体が電力事業を開始しているため、その状況をまとめ、ドイツと比較する。
フォーラム3 ルターの宗教改革500周年 司会:森田直子(立正大学准教授)
100年後のビラが語る宗教改革史 ―「ルターの物語」と「近代化論」の再検討― 高津秀之(東京経済大学准教授)
「宗教改革500周年」の2017年、日本やドイツではルターと宗教改革をめぐる多くの研究成果が提示されよう。本報告では、内外の動向も踏まえながら、1.「ルターの物語」(L.フェーブル)を中心とし、2.近代化論(M.ヴェーバー)と結びつく宗教改革史観の再検討を行う。この目的のため、宗教改革百周年の1617年に出版されたビラの図像を検討する。イメージを手掛かりに、古典的な宗教改革史観を相対化し、新しい宗教改革史研究の可能性を探りたい。
コメント 矛盾するルターの記憶:出版と宗教改革 加藤喜之(東京基督教大学准教授)
シンポジウム
恐れるドイツ ── Er ist wieder da
- 開催時刻:13時30分-17時
- コメンテーター:三好範英(読売新聞社編集委員)・大竹弘二(南山大学教授)
- 司会:村上公子(早稲田大学教授)
<全体要旨>
右翼ポピュリズムが勢いを増す中、文化表象は、その批判的機能を今なお持ち得ているのだろうか。AfDやPEGIDAと直接対峙し話題となった『Fear』(2015年10月初演、ベルリン・シャウビューネ劇場)、小説、映画ともに大ヒット作となった『帰ってきたヒトラー』(2012/2015)は、どちらも社会に蔓延する「不安」に対する挑発的な応答だといえるが、手法や戦略のみならず、その影響力も大きく異なる。良識的知識人の言説に抗ったファスビンダーに見られるような戦後ドイツ映画の「挑発」の手法の系譜を参照しつつ、排外主義的、差別主義的言説をめぐるタブーが崩壊しつつある現在、文化表象が持つ限界と可能性を考えたい。
1.「恐れ」の言説との戦い方、あるいは挑発的な「引用」の功罪
―ファルク・リヒター「Fear」をめぐって―
浜崎桂子(立教大学教授)
ファルク・リヒター作・演出の「Fear」は、排外主義、伝統的家族観を標榜する右翼ポピュリズムの「不安の言説」を引用によって舞台にのせ、同時に、すでに戦後乗り越えたと思われた言説が「帰ってきた」ことに対する良識的知識人の「不安」にも焦点をあてている。「エスタブリッシュ」と「怒れる市民」との断絶が深まる中、劇場という場を通して社会に対して提示されたこのような議論、批判的意図をもった「引用」や「コラージュ」の手法は果たして有効なのか、作品をめぐる議論を参照しつつ考察を試みる。
2.ファスビンダー、シュリンゲンズィーフ、フェイク=ヒトラー
―ドイツ・メディアにおけるタブー破りのいくつかの傾向
渋谷哲也(東京国際大学教授)
60年代以降のドイツの映画・演劇における挑発的作家たちの中で、ファスビンダーとシュリンゲンズィーフは際立った存在である。彼らは大衆メディアの通俗性とアンダーグラウンドの悪趣味を共存させ、美的かつ政治的に受け手の覚醒を促した。だが皮肉なことにその延長線上に現在のフェイク=ヒトラーの方法論が生まれたともいえる。タブー破りは結局タブーを強化するのか、系譜的に考察してみたい。
3.ヒトラーが『最期の12日間』から『帰ってきた』わけ ― 移民の国のドイツ人 高橋秀寿(立命館大学教授)
戦後のドイツ人にとってヒトラーは長らく「追悼(Trauern)」することができない存在だった。しかし90年代に記憶文化が確立することで、2004年に『最期の12日間』によって最終的にヒトラーは追悼された。ところが彼は2015年に『帰ってきたヒトラー』で呼び戻されてしまう。この報告は、現実として移民の国になった社会で生じているドイツ国民の再編成という脈絡においてこの文化現象を分析し、そこから「恐れるドイツ」を読み解いてみる。