2015年度日本ドイツ学会奨励賞
受賞作
2015年度日本ドイツ学会奨励賞は、学会奨励賞選考委員会による慎重な選考を経て、速水淑子氏(慶應義塾大学法学部 非常勤講師)の『トーマス・マンの政治思想-失われた市民を求めて』(創文社)、吉田 寛氏(立命館大学大学院 先端総合学術研究科 教授)の 『絶対音楽の美学と分裂する〈ドイツ〉十九世紀』(青弓社)に決定されました。2016年6月12日、早稲田大学において開催された日本ドイツ学会大会での授賞式において奨励賞選考委員会の村上公子委員長から選考経過と受賞理由の発表があり、日本ドイツ学会香川檀理事長から速水氏と吉田氏に賞状と副賞が授与されました。
選考理由
2015年度日本ドイツ学会奨励賞は、2006年、2013年度に続く三度目になりますが、二作品に差し上げることとなりました。受賞作は、著者五十音順に、速水淑子さんの『トーマス・マンの政治思想 ― 失われた市民を求めて』創文社刊と吉田寛さんの『絶対音楽の美学と分裂する<ドイツ> 十九世紀』青弓社刊 の二つです。
両作品の著者と作品の概要をご紹介し、審査の過程についてご報告申し上げます。
速水淑子さんは、東京大学大学院農学生命科学研究科修士課程修了後、慶應義塾大学法学研究科博士課程を修了、博士号を得られました。現在は慶應義塾大学法学部非常勤講師でいらっしゃいます。受賞作は、博士論文を大幅に修正、加筆したものである、とのことです。
受賞作『トーマス・マンの政治思想』は、著者によれば「トーマス・マンの政治思想を、市民性とのかかわりを軸に明らかにすること」を目的とし、「マンの思想を『歴史的に与えられた社会的思想的原状況』に対する応答として読み解く」試みです。このように申し上げると、既視感を持たれる方もおいでかと存じますが、速水作品の特徴は、その分析の広さ、深さ、そして緻密さと周到さにあります。
審査委員の一人は「市民と市民性という鍵概念を…同時代の関連分野に目配りをしながら、平明な文章で掘り下げている点に感銘を受けた」と述べ、別の一人は「マンの多様な発言をこれほど明解かつ網羅的にまとめた本を初めて見る思いがする」と評価しているところからも、速水さんの分析の秀逸さがお分かりいただけるでしょう。
吉田寛さんは東京大学大学院人文社会系研究科(美学芸術学)博士課程修了ののち、学位申請論文『近代ドイツのナショナル・アイデンティティと音楽―《音楽の国ドイツ》の表象をめぐる思想史的考察』によって博士号を取得。同研究科助教、立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授を経て、現在は同教授でいらっしゃいます。受賞作はこの博士論文を元にして出版・発表された一連の(四冊の)著作の最終作であり、博士論文の第5章に加筆・修正を加えたものです。
受賞作『絶対音楽の美学と分裂する<ドイツ>』は、少々乱暴にまとめますと、19世紀に起こった音楽における「ドイツ的なるもの」の評価の変遷と、政治理念としての<ドイツ>の変遷と分裂を重ね合わせてそのあり様を記述したもの、と言えるでしょう。蛇足ですが、吉田さんは本作品で2015年度サントリー学芸賞を受賞されています。
次に、審査の過程についてご報告いたします。本年度の候補作品は5冊でした。8名の選考委員全員が全作品を読み、10点満点で評価したものを事務局で集計し、その上で5月14日に7名の委員の出席を得て、選考委員会を開催しました。集計結果に基づき、多少の議論はありましたが、速水作品と吉田作品が最終候補として残りました。
双方の研究分野が近いこともあり、できれば二作品同時受賞は避けたいと、様々な側面から議論しましたが、どちらか一方を選ぶ決定的な論拠を提示することができず、結局、分野は近接であっても、双方の研究スタイルはまったく対照的で、分野のクロスオーバーだけでなく、研究手法の多様性を認めるという意味で、二作品に奨励賞を差し上げてもよいのではないか、という結論に至った次第です。
速水淑子 氏の受賞あいさつ
このたびは、栄誉ある賞を与えられ、たいへん光栄に感じております。講評をいただいた先生方、そして、執筆に際し指導を受けた慶應法学部政治思想専攻の先生方に、改めてお礼を申し上げたく存じます。
本研究は、1900年代から第二次世界大戦後まで、約半世紀にわたるトーマス・マンの「政治思想」の変遷を、小説、論説、書簡、日記の分析を通じて論じたものです。政治思想家としてのマンに関心を持ったのは、学部二年生の語学の授業で読んだ、「芸術家と社会」という小論がきっかけでした。その小論の終わりのほうで、マンは、「芸術家が政治的に道徳を説くということに、なにか滑稽なところがあるのは否定できない(Unleugbar hat ja das politische Moralisieren eines Künstlers etwas Komisches)」と述べていました。亡命を余儀なくされ、息子や友人を失いながら、ファシズム、ナチズムとの闘いを訴えてきたマンが、最晩年の1952年に、自分の政治活動を振り返って、「滑稽」なものであったと総括しているのは、それだけで異様なことですが、同時にまた、この言葉を通じて「政治」というものの輪郭が、「芸術」の側から思いがけず照らし出されたような、そういう強い印象を受けました。
それから文献を読み進めまして、マンの思想世界においては、彼が晩年に「存在への共感」と呼んだような精神態度、危険で有害なものにさえも向けられる無制限の共感が、芸術家に不可欠のものと考えられており、そして「政治」はこの共感に排除と暴力の契機を以て制限を加えるものとして捉えられていたのだと、考えるようになりました。こうした「政治的なもの」に対する警戒の一方で、マンには、それとは異なる「社会的なもの」への期待がありました。それは、個人が「無制限の共感」を共同性と照らし合わせて自己規制し、それによって個人の内的涵養と社会的連帯が相即的に発展していくという教養のプロセスを指しているのですが、ワイマール期以降、この理想が、宇宙論や物語論の構築を含めた、市民的人文主義の再解釈という壮大なプロジェクトとなって表れたことも見えてきました。
研究では、このプロジェクトの背景にあるマンの歴史あるいは現状認識を、同時代のコンテクストに位置づけ、批判的に相対化することにも重点をおきました。ただしこれについては課題が多く残り、例えば「有機体としてのドイツ」や「東西の中間にあるドイツ」といったマンの言説について、当時の言論状況と照らし合わせて、より批判的に検討するべきであったと、すでに批判をいただいているところでもあります。本日の受賞をきっかけに、各分野の専門家の方々から、さらなるご批判を頂くことができれば、そしてそれを、ドイツ人文主義と政治の関係を振り返るという長期的な研究目標に活かすことができれば、と願っております。本日はありがとうございました。
吉田 寛 氏の受賞あいさつ
立命館大学の吉田寛と申します。
この度は、拙著『絶対音楽の美学と分裂する〈ドイツ〉』を、日本ドイツ学会奨励賞にお選びいただきまして、誠にありがとうございます。日本のドイツ研究をリードする本学会の先生方に、拙著をお読みいただき、またご関心をもっていただいたことは、身に余る光栄です。
実は私は、日本ドイツ学会へは今回で二度目の参加となります。前回の参加は、2011年6月に新潟で開かれました第27回総会でした。そこでのシンポジウム「音楽の国ドイツ?──音楽と社会」にお招きいただき、研究発表をし、その後『ドイツ研究』に論文も掲載していただきました。その時点では、ちょうど本書を第三巻とするシリーズの、第一巻を書いている途中でした。このシリーズの副題は「〈音楽の国ドイツ〉の系譜学」といいますが、その副題を考えている際、その学会シンポジウムの題名と完全にかぶってしまうが大丈夫だろうか、真似したと思われたらちょっと悔しいなあと、気にしたことを今も覚えております。ともかく、そのシンポジウムや論文掲載の過程で、本学会の皆様から大きな刺激と励ましをいただいたことが、拙著として結実しました。今あらためて感謝の意を表します。
私はドイツ語やドイツ文化の専門家ではございません。現代音楽の研究からスタートし、現在は感性とメディアを研究しています。芸術からもドイツからも離れてしまっています。ドイツ語は資料を読むために使うくらいで、ほとんど話せません。ドイツへは調査には行きましたが、留学などはしておりません。ドイツで学会に出るときも、英語で話しています。しかし、ドイツとその程度の関わりしかない私でも、音楽とナショナル・アイデンティティの研究をするためには、どうしてもドイツのことをやらざるをえなかった。それくらい、音楽という芸術とドイツという場所は、密接に結び付いている、ということです。そのことは拙著によってわずかでも明らかにできただろうと自負しています。そして、そのような私が、音楽を研究するなかで、ここまで深くドイツの問題に立ち入ることができたのは、大学の学部時代によいドイツ語の先生に、また大学院時代に優れたドイツ研究者に、たくさん巡り会えたためです。図書館にドイツ語の文献が豊富にあったためです。それはとりもなおさず、日本におけるドイツ研究の伝統と成熟のおかげだと思っています。わざわざ留学などしなくとも、日本にはドイツ研究のための十分な環境がある、ということです。それは素晴らしいことであり、またこれからも長く維持されるべきことだと思います。その意味でも、日本のドイツ研究を日々支えておられる本学会の皆様には、深く敬意を表します。
ドイツの文化や歴史の専門家が、拙著をどうお読みになったのかを知るのは、正直言ってたいへん怖いことです。音楽研究や思想研究の側から、精一杯のアプローチはしてみましたが、ドイツ史に関する私の理解や論述は、通り一遍、もしくは過度に図式的であったかもしれません。誤りもあるかもしれません。また拙著の後半の中心的視座となる、ドイツの南北問題、ドイツとオーストリアの関係についても、新しい研究が色々と出ていることが気にかかりなりながら、十分に扱いきれませんでした。この書で扱った問いは、十九世紀で完結するどころか、二十世紀を経て現代へ、そして今日へとつながっているものですので、いずれまた機会をあらためてじっくり調べ、考えてみたいと思っています。
本日はありがとうございました。日本ドイツ学会のますますのご発展を祈念して、私からのご挨拶の結びとさせていただきます。