2011年度日本ドイツ学会奨励賞
受賞作
2011年度日本ドイツ学会奨励賞は、学会奨励賞選考委員会による慎重な選考を経て、小原 淳 氏(和歌山大学教育学部 准教授)『フォルクと帝国創設──19世紀ドイツにおけるトゥルネン運動の史的考察』 (彩流社)に決定されました。2012年7月7日、東京大学大学院数理科学研究科大講義室において開催された日本ドイツ学会大会での授賞式において奨励賞選考委員会の村上公子委員長から選考経過と受賞理由の発表があり、日本ドイツ学会姫岡とし子理事長から小原淳氏に賞状と副賞が授与されました。
選考理由
2011年度のドイツ学会奨励賞受賞作は、小原淳著『フォルクと帝国創設 – 19世紀ドイツにおけるトゥルネン運動の史的考察』彩流社刊、に決定いたしました。ここで、選考委員会を代表して、受賞者小原淳さんの略歴をご紹介申し上げるとともに、選考の経過を簡単にご説明いたします。
小原さんは1975年生まれ、2006年に早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程を修了され、2008年、学位請求論文「近代ドイツにおける<市民性 Bürgerlichkeit>の変容 – 1840年代〜1860年代のドイツ・トゥルネン運動」によって早稲田大学から博士号を取得、現在は和歌山大学教育学部准教授として教鞭を執っておられます。言わずもがなかもしれませんが、今回の受賞作は、博士論文に加筆修正の上、出版されたものです。
今回、ドイツ学会奨励賞選考委員会では、まず、委員から推薦された三冊の候補作品を12名の選考委員全員が読みました。次に、三作品それぞれを十点満点で採点し、各々の作品に対する所見を付けて提出、事務局でそれを集計し、資料にまとめました。その上で5月6日選考会議を開催、資料に基づき、出席可能だった委員間で慎重、入念な議論と検討を重ねた結果、小原氏の作品が、学術的な質の高さに加え、とりわけ狭義の19世紀ドイツ史の枠を越えて、近代ジェンダー史や西洋教育史、文学、民俗学、さらには視覚文化研究に及ぶ、広範な研究分野への広がりの可能性を持つ内容であることから、学際性を標榜するドイツ学会の奨励賞にふさわしい、という結論に至りました。
本書は、その副題にあるとおり、19世紀初めにドイツの思想家にして教育者、フリードリヒ・ルートヴィヒ・ヤーンが創始した「トゥルネン」を、ジョージ・モッセのいう「大衆の国民化」に大きく寄与した運動と捉え、「トゥルネン運動がその成立以来一貫してフォルクの運動であることを自任し、フォルクについての理念と実践の交錯する場であり続けた」がゆえに「フォルクの歴史的内実とその変化を考える」ための格好の材料として、このトゥルネン運動を考察、分析するものです。
周知のとおり、フォルクという言葉の意味する内容は大変多重的ですが、筆者はラインハート・コゼレクに従ってこれを「内/外」と「上/下」という二つの軸に沿って、整理できるものと捉えています。
筆者によれば、発生から「帝国」創設期までの「トゥルネン運動」は、時期ごとに様相を変えつつ「フォルク」概念がこのコゼレクの「内/外」と「上/下」の二つの軸に対応する形で形成されていく実態を、見事に反映している、のだそうです。
本書を読む者は、詳細な実証的データに裏付けられた筆者の論述によって、「フォルクについての理念と実践の交錯する場」であり続けたトゥルネン運動の実態を目の当たりにすると同時に、その運動の内外で、徐々に立ち上がってくる「フォルク」なるものの存在を、そのありようの複雑さと共に、感じ取ることが出来るでしょう。
オーソドックスな歴史研究者としての筆者の力量には疑問の余地はありません。その確認の上で、歴史学会ではない、ドイツ学会の奨励賞選考委員から寄せられた、いわば、将来の氏の研究に対する期待とも言うべき指摘の何点かに、敢えて触れさせていただきます。
まず、本書の考察対象が少し限定的に過ぎるのではないか、という複数の指摘がありました。一つは、考察の直接対象となっているトゥルネン運動そのものについて、今少し後の、独仏戦争の時期まで考察する、あるいは、もう少し個々のトゥルナーの内面に踏み込んだ考察が欲しかった、という指摘です。
他の何人かの委員からは、フォルク形成の様相を検証する場として、トゥルネン運動以外の運動にもう少し言及した方が、考察に深みがでたのではないか、という指摘がありました。
しかし、ドイツ学会奨励賞選考委員会として、より重要と思われるのは、次の点です。既に選考経過説明の中で触れましたが、本書を推す選考委員のコメントには、本書の記述が19世紀ドイツの歴史研究を越えて、他領域の研究にとっても有意義である、という内容のものがいくつもありました。その場合、そこで言う「他領域」は、コメントを書いた選考委員本人の主たる研究領域であることが殆どでした。
これは、本書の持つ学際的意味の大きさを示す事実ですが、ただ、一つ気がかりなのは、そのコメントに必ずと言ってよいほど「筆者はあまり意識していないが」という留保がついていたことです。
選考委員会としては、小原氏が本書に至る研究の過程で蓄積されてきた、非常に豊かで多様性に富む学問的財産を、狭義の19世紀ドイツの歴史研究以外の視点から見た際の可能性にも目を閉ざすことなく、より豊かな研究を続けられることを願って已みません。
小原 淳 氏の受賞あいさつ
和歌山大学の小原でございます。この度は拙著『フォルクと帝国創設―19世紀ドイツにおけるトゥルネン運動の史的考察』に名誉ある賞をいただき、大変光栄に感じております。
これまでにこのような立派な賞を受けた経験もありませんし、「脱原発」がシンポジウムのテーマである今日のこの場で、体操やら愛国主義やらに夢中になっていた19世紀のドイツ人を対象にした研究について何をお話すればよいのか、正直見当がつきません。しかし、初めて日本ドイツ学会に参加させていただき、先ほどまでシンポジウムでの討議を拝聴したことで、賞に加えてもう一つ、今後の研究に励みをいただいたような気がしております。
こう申しますのは、拙著の執筆の最中に昨年の大震災が起き、そのような時に遠い異国、遠い時代の瑣末なあれこれを云々するのに何の意味があるのか、歴史学が眼前の惨事にいかに立ち向かうことができるのかを、大学の卒業論文でトゥルネン運動を研究テーマに選択して以来、初めてと言っていいほど切実に考えさせられたという経緯があるからです。昨夏に拙著を上梓した後も、この問いに自分なりの答えが得られたわけではなく、暗澹とした諦念を払拭しきれないままにいるのですが、専門家と一般の方の垣根を越えた今日の熱心な議論の応酬に耳を傾け、歴史研究はあるいは何らかの社会的有用性を持ち得るのかもしれない、少なくともその可能性を信じながら拙い研究を続けなければならないという思いを強くした次第です。
最後になりますが、拙著においては自制したことですが、常に私を支え続けてくれている家族への感謝をこの場をお借りして表現することをお許しいただければと思います。本日はどうもありがとうございました。