2007年度日本ドイツ学会奨励賞 今野 元 氏『マックス・ヴェーバー』

2007年度日本ドイツ学会奨励賞

受賞作

2007年度日本ドイツ学会奨励賞は、学会奨励賞選考委員会による慎重な選考を経て、今野元 氏(愛知県立大学外国語学部)『マックス・ヴェーバー ある西欧派ドイツ・ナショナリストの生涯』(東京大学出版会)に決定されました。2008年6月21日、筑波大学において開催された日本ドイツ学会大会での授賞式において奨励賞選考委員会の石田勇治委員長から選考経過と受賞理由の発表があり、日本ドイツ学会広渡清吾理事長から今野氏に賞状と副賞が授与されました。

選考理由

今野元氏は、これまで一貫してドイツ近現代史、とくに帝政期から第一次世界大戦を経てヴァイマル共和国にいたる時期を対象に、同時代の思想家マックス・ヴェーバーに焦点をあてた優れた論考を発表してきた。

今回の受賞作『マックス・ヴェーバー』(東京大学出版会)は、5年前に刊行された著書『マックス・ヴェーバーとポーランド問題』(同)で示されたヴェーバーの東方観に関する成果を踏まえ、ヴェーバーが明確な西欧近代化論者であると同時に、強いナショナリストであったという事実を、様々なエピソードを織り交ぜながら、説得的に描いた作品である。

最良の歴史書は人物研究であるともいわれるが、本書はヴェーバーの人物像をありのままに、―これを一方的に断罪することも、礼賛することもなく―、そして、ヴェーバーが直接向きあった同時代の具体的な政治、社会的文脈にも分析のメスをいれながら、活写している。その意味で、本書は伝記の形態をとりながら、「ヴェーバーとその時代」に関する秀逸な歴史書となった。

本書では、ヴェーバーの著作・刊行史料はいうまでもなく、夥しい未公刊の一次史料が駆使されている。浩瀚な本書の土台は、研究室でのテクスト分析だけでなく、ドイツ、オーストリアを始めイタリア、ポーランド、ロシア、フランスなど28カ所もの文書館で史料渉猟にあたった今野氏の歴史家としての努力によって築かれたものである。

なかでも、「ローマ帝政期」など少年期のヴェーバーが遺した歴史作文の掘り起こしを含む第一章「政治的人格の形成」、フリードリヒ・ナウマンとの交友関係や闘病期における政治方針の一貫性などを述べた第二章「プロイセン・ユンカーとの対決」、さらに「独立自尊の人間を求める」ヴェーバー官僚制論の「原体験」ともいうべき生々しい官僚とのやりとりを描く第三章「ドイツの人間的基礎への批判」など、本書で初めて詳しく取り上げられた論点も多く、本書が今後長く参照されるべき一冊であることに疑念の余地はなかろう。

たしかに本書には、著者の若さ故か、断定的で独善的な筆致が散見され、先行する我が国のヴェーバー研究の参照度にも若干の不足が感じられる。しかし、このような欠点は、本書の全体的な価値を損なうものではない。本書に示された今野氏の圧倒的な筆力と堅固な知的胆力は、今後いっそうの研鑽を積むことによって、ドイツ史研究のみならず、広く学際的ドイツ研究に多大な貢献を果たすことを確信させるものである。

以上の理由から、日本ドイツ学会奨励賞選考委員会は、本書を奨励賞受賞に相応しい作品と判断した。

今野 元 氏の受賞あいさつ

愛知県立大学外国語学部ドイツ学科の今野元でございます。本日は名誉ある賞を頂きまして、大変な光栄に存じます。

私が大学に入学しましたのは、ドイツ再統一の興奮醒めやらぬ1991年のことでして、ナショナリズムの再来が世界中で脚光を浴びた時期でした。世間は分断を克服したドイツへの祝福で溢れていましたが、大学の教壇では再燃したドイツ・ナショナリズムを遺憾とし、ヨーロッパ統合の進展に期待するという論調が支配的だったように記憶しています。そうしたなかで、人権、デモクラシー、理性といった知性主義的な理想と、ナショナリズムのような人間の情念との相克という現象に興味を抱いた次第です。

私が大学院時代に課題としたマックス・ヴェーバーは、そうした好奇心に十分に応えるものでした。ヴェーバーは確かに傑出した知識人で、親英米の立場でドイツの政治的近代化を目指しましたが、同時に決然たるドイツ・ナショナリストでした。紋切型の反西欧的ドイツ・ナショナリストではなく、また無邪気な西欧礼讚者でもない、西欧派ドイツ・ナショナリストであるところに、ヴェーバーの特徴があります。彼の政治的言動は、ヴォルフガング・J・モムゼン以来歴史研究の対象とされてきましたが、私が先行研究に付け加えたものが多少あるとすれば、知性主義的な政治観には、ナショナリズムのような情念を抑制する面と、逆に助長する面とがあるという点でしょう。

私は政治学とは、人間同士がいかに共存しうるか、あるいはできないかを考える営みだと定義していますが、そこで大事なのは、そもそも人間とはどのような存在かを見据えることだと思っています。この著作でも、ドイツ・ナショナリズムという大きな問題を扱うに際し、ヴェーバーやその同時代人の人間性を見詰めるところから出発しています。ただ今後分析対象が変わり、周囲の社会環境が変わると、あるいは私の人間観にも変化が生じるかもしれません。私は今後、近世から現代までの幅広い分野で、引き続きドイツを舞台に人間の共存について考えていきたいと思っておりますので、ご列席の先生方には今後ともご指導ご鞭撻を頂戴できますと幸甚に存じます。

昨今は学問を取り巻く環境が変わり、実学ばかりが強調されるようになって、(とりわけ歴史・思想・文学・言語分野の)ドイツ語圏の研究は容易ならざる状況にあります。英米圏の研究や発展途上地域の研究、とりわけ流行のアジア研究なども重要ですが、欧米世界の重要な一要素であり、近代日本とも縁が深かったドイツ語圏の研究が、その意義を失うことは今後とも有り得ないと思われます。その意味で、その牽引車であり、学際的討論の場である日本ドイツ学会の益々のご発展をお祈り申し上げる次第です。私もドイツ政治担当の一教員として大いに勉強させて頂き、学生にドイツ学の面白さを伝えるべく努力して参りたいと存じます。